去年の大晦日の夜は、年越しそばを食べるとすごく眠くなって、紅白もEテレのクラシック番組も見ずに寝てしまった。
さすがに翌日の元日は早く目が覚めた。
センリョウと白と黄色の菊だけを花瓶に差してテーブルの上に置き、その前に買ってきていたお節を置いて、お屠蘇とお雑
煮と一緒にいただいた。
今年のお節は、(去年最後のブログにも書いたけれど)下のスーパーで初めて頼んだものだったが、やっぱり今までのと
比べてかなりお粗末だった。
(それを嘆いていたら、ご近所の友だちがまだ沢山残っているからと、翌日の2日に持ってきくださり、お昼に一緒にいた
だいた。新年早々申し訳ありませんでした。ありがとうございました♪)
(元日に話を戻して、)お節をいただいた後は、毎年お参りしている近くの富島神社に、お参りに行った。
元日は年末からの寒波が続き、とても寒かったので、富島神社にお参りした後は、公園に行くこともせずに帰った。
帰り道で目にした、民家の壁に絡まっている蔦
3日の日の朝、NHKのテレビで、『たけしくん ハイ!』の再放送をしていた。 (それ以前にもやっていたらしいが…)
『たけしくん ハイ!』は、私がまだ若かった頃に放映されたドラマで、北野たけし氏の少年時代を描いたものだ。
私は申し訳ないけれど、大人になられてからの北野たけし氏は、あまり好きになれなかった。
でもこのドラマは本当に面白かった!
社会の底辺で生きる西野家族(北野家族をモデルにしたもの)の日々を、実に生き生きと描いていた。
大酒飲みで自分の思うようにならないとすぐに暴れて、手のつけようがない父親。
その父親を、時にはなだめすかし、時には体を張って押さえつけて、支え続ける母親。
そんな家族のドタバタの中、たけしはそれに翻弄されながらも、たくましく健気に生きていく。
そのたけしの姿がたまらなく愛おしい!
そしてまた、彼の両親の、一見ハチャメチャな生き様にも、貧しさの中で生きる庶民の姿を感じて、私は同じような愛おし
さを感じた。
このドラマの成功は、台本の素晴らしさに依るのは元よりだが、それぞれの役者の演技の上手さにも依っている。
たけしを見事に演じた「小磯勝弥」くん
たけしの父 たけしの母
竹次郎の母親を演じた、今は亡き「千石規子」さん(彼女の演技も素晴らしかった!)
たけし少年の、いたずらっぽさと内に秘める優しさを、見事に演じられた「小磯勝弥」くんは、今どうしておられるのだろう?
そう思ってネットで調べてみると、彼は比較的最近結婚され、引き続き役者として活躍されているとのこと…。
私は何だかホッとし、とても嬉しくなった。
今回 『たけしくん ハイ!』(の一部だが)を見て、このドラマは今でも決して古くはない!と思った。
でも一方では、今の若い人たちが、このドラマを見てどう思うんだろう?とも思った。
戦後の貧しさがいっぱい残っている『たけしくん ハイ!』の世界、それを若い人たちは理解することができるだろうか?
そんなことを思いながら、私は自分のことをつくづく、「昭和の人間やなあ」と思った次第です。
6日の日は、帯状疱疹後神経痛の薬を貰うため、西中島南方のお医者さんに行った。
その後、地下鉄で久しぶりに梅田に出た。 百貨店でちょっと見ておきたいものがあったので。
その時、毎年、阪急百貨店のショーウインドーに飾られる、嵯峨流の生け花を見た。
本音を言うと、私はこのような、どちらかと言うと豪華絢爛な感じの生け花は、あまり好きというわけではない。
でも、このような場所には、こんな生け花が合うのかも…。
そのあと、私は阪神百貨店の食料品売り場に行って、使い物に適当な物がないか、物色した。
いろんな売り場を見てまわったが、結局これという物は決められず、私は自分用に、お菓子と七草粥の材料を買った。
お菓子は6日のうちに食べてしまったが、七草粥は、今朝用意をしていただいた。
全国的に押し寄せている寒波が、大阪にも押し寄せ、今日はとても寒い。
ベランダに出ると、肌を刺すような風が吹き渡っている。
その風で、だいぶ花数を増やしたベニフジの鉢が倒れてしまっていた。
私は慌てて鉢を起こし、今日のベニフジをカメラに収めた。
コロナ感染者は増加の一途をたどり、寒波による雪などで、いろんな所で死者を含む被害が出ている。
新しい年は、とても厳しい船出となった。
私たちはコロナに感染しないよう細心の注意をしなければならないが、国の指導者の方に々は、適切な方針を素早く打ち
出してほしいと、強く願う。