のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

正平さんが、島根にやって来た!(NHK・こころ旅)

2021-11-09 18:03:13 | 日記

火野正平さんの「にっぽん縦断こころ旅」は、番組が始まった頃(10年くらい前)から、だいたい欠かさず見ている。

その間に島根を訪れられたことはもちろんあり、以前、我がふるさと・益田で、私も帰ったときにはよく行く果物の美味しい

お店で休憩されたときには、嬉しくなってブログにアップした。

(その時の目的地が津和野だったので、山陰の小京都・津和野の美しい街並みや隠れキリシタンの歴史などを知ってほし

 いという気持ちもあって、投稿したと思う。)

 

最近はコロナの影響で、旅が中止になったり変則的になったりしたけれど、今回の秋の旅は順調に進んでいる。

秋の旅なので、暖かい地方に向かっての旅だけれど、その途中で1週間(実質4日間だけど)島根を旅されることになった。

何処に行かれるのだろう?

島根と言っても私のふるさと・益田は西のはずれにあり、たぶん目的地になることはないだろうなあ‥。

などと思いながら見ていると、最初の2日間は島根の東部(出雲地方)の旅で、それから次第に西に向かわれるという。

もしや!と期待して見ていたら、3日目の出発点が、私もよく知っている三瓶山という山の中腹だった。

三瓶山の姿が映ったとき、何だかとても懐かしくて、思わずテレビ画面にカメラを向けた。

それが今回ブログをアップするきっかけになって、島根の旅の3日目と4日目を、写真で簡単に紹介することにした。

 

<3日目>

      

                  3日目の出発点は、三瓶山の中腹から。

 

 

三瓶山は大田市にあり、大田市には、私の長兄が長らく住んでいた。

その長兄が亡くなり、確かその一周忌で大田を訪れたとき、三瓶山の中腹にある宿に姉夫婦と一緒に泊まった。

その折、車で三瓶の中腹をぐるりと回った。

季節もちょうど上の写真と同じ頃で、草もみじが美しかったのを覚えている。

そんな思い出もあって、上の映像をテレビで見たとき、思わずカメラを手に取ったのだと思う。

 

ところで、正平さんのこの日の目的地は、大田市を西へ行った江津市だ。

江津市には江の川という清流が流れている。

お手紙の中味は、自分が若い頃ずっと見続けてきた、江の川に架かる三江線(今は廃線となった)の鉄橋の風景をもう

一度見たいというものだった。

正平さんは緑に包まれた国道55号線をひた走り、目的地に着かれ、そこでその景色を眺めながらお手紙を読まれる。

         

 

 

 

           ~目的地~ (流れる川が江の川、その上に架かるのが、三江線の鉄橋)

     

 

 

 

     

 

 

 

          

 

 

 

江津市は、ふるさと・益田とは比較的近いけれど、私は残念ながら行ったことがない。

ただ江津市は、益田と同じく、島根の西部(石見イワミ地方)に属し、生活習慣やことばも同じなので、親近感は強い。

(島根県は、東の出雲地方と西の石見地方では、ことばも生活習慣も全く違うのだ。)

乗ったことのない三江線(車窓の風景が素晴らしいそうだ)も、いつかは乗ってみたいと思っているうちに、廃線になって

しまった。

なので、この風景を見させていただくことは、私にとってもとても嬉しいことだった。

 

 

 

 

<4日目>

     

 

 

4日目の正平さんは、前日からはずっと西の、津和野町にあるという<大元神社跡のクスノキ>のもとからの出発だった。

大元神社跡のクスノキ…これも私はその存在さえ知らなかったけれど、何とも立派なクスノキだ。

     

 

 

 

                       

 

 

皆さんそうだと思うけれど、私は樹齢を重ねた大木を見ると、心が揺さぶられる。

それは大木の姿に、いろんな苦難を乗り越えて生きてきた凄さや生命力を感じるからだろう。

4日目の出発点が、そんな大木の下からだということは、とても嬉しいことだった。

 

ところでこの日の目的地は、我がふるさとの川でもある清流・高津川の“畳石”だった。

“畳石”という石が、高津川の比較的上流にあることも知らなかったが、お手紙の題名が「ランドセルを待った畳石」という

ので、一体どういうことなんだろう?と、その意味が分からずに戸惑った。

        

 

 

 

しかしお手紙の中味を読んでいくと、切ない少女の気持ちが感じられて、胸が熱くなった。

畳石の近くに住んでいただろう少女(投稿者)、その少女は幼い頃、ポリオに罹り隔離される。

そしてその両親は、娘の医療費をかせぐために、娘を置いて街に働きに出掛けられたのだそうだ。

その時両親は娘に、「小学校に入学するときには、ランドセルを買って郵便で送るから。」と、約束されたのだろう。

少女は毎日畳石に坐って、郵便屋さんがランドセルを持ってきてくれるのを待ちわびる。

しかし、少女が小学校の入学式を迎えても、ランドセルは届かなかった。

少女はその後もずっと畳石に坐って待っていた。

するとある日郵便屋さんがやって来て、少女にやっとランドセルを手渡してくれた。

少女がランドセルを開けてみると、中に「遅くなってごめんね。」の手紙とお菓子が一つ入っていた。

 

現在66歳になられる投稿者。

66歳というと、私より10歳以上お若い。

私の子ども時代は、戦後すぐだということもあって、物質的には確かに貧しかったと思う。

でもそれから10年以上経っても、このような切ない話はあったんだなあと、心に沁みた。

今では広島でお元気に暮らしておられる投稿者の方の、幼い日の切ないお話は、とても重く心に響いた。

 

下の写真は、その畳石と、高津川の清らかな水、それと、畳石に坐ってお手紙を読まれる正平さんの姿(再度)です。