タイトルに「ついにオープン!」と書いたが、オープンしたのは、今年(2022年)の2月2日で、ずい分前のことだ。
そして、オープン記念として開かれた『Hello!Super Collection 超コレクション展』に私が出掛けたのも、2ヶ月以上
も前の、2月17日のことだった。
(この美術館の開館のこと、そのオープン記念の展覧会に行ったことを、早くブログに書かなければと思いながら、ずっと
サボってしまっていた。)
≪大阪中之島美術館≫(美術館の名まえは今回付けられたのだが)の構想が発表されたのは、1983年に遡る。
大阪の実業家にして大の美術愛好家であり、優れた蒐集家でもあった山本發次郎氏の遺族から、佐伯祐三作品を含む
約580点の作品が大阪市に寄贈されたことが、その出発点になったのだそうだ。
その時から延々40年、美術館を建てる場所や経済的な問題などもあって、何回も建設がとん挫し実現しなかったが、
今回やっと長年の、大阪市と市民の夢が実現することになった。
結局新しい美術館は、大阪の中心地である堂島川と土佐堀川に挟まれた中洲=中之島地区に建てられることになった。
≪大阪中之島美術館≫の名まえも、美術館が建てられた場所をとって付けられたようだ。
大阪中之島美術館の上の外観が発表になったときは、正直、「えっ、まっ黒!?」と、引く気持ちが強かったが、一市民
がアレコレ言ってもどうなるものでもないから、この建物に慣れるしかないと思った。
そしていよいよ2月2日、待望の開館の日がやって来た。
私は早速チケットを取って、コロナがまだ収まらない中の2月17日に、その新しい美術館に出掛けた。
今回のオープニング展覧会で私が一番楽しみにしていたのは、大阪が生んだ世界的な画家・佐伯祐三氏の作品を、
存分に見ることができることだった。
私は若かりし頃、佐伯祐三氏の絵を初めて見たときから、彼の絵に心惹かれていた。
彼の絵の少し暗めの色彩の中に、愛の深さと切なさ、かれが抱いている意思の強さなどを、感じたからだ。
暗めの色彩と書いたが、でもその色は決して濁ってはいず、彼が人生について深く思索されていたことを示すものだと
思った。
そんな佐伯祐三氏が、私が今住んでいる中津のお寺の出であることを知ったのは、私が仕事を辞めて中津をうろつく
ようになってからだ。
彼が高校卒業までを過ごされたお寺は、私が住んでいるマンションから歩いて10分にもならない所に今でも建っており、
そこには「佐伯祐三生誕の地」という碑も立てられていた。
佐伯氏は高校時代から絵を描くことに興味を持たれ、その後東京芸術大学に進学される。
大学生活を続けられる中で、彼は当時、新しい芸術の中心であったフランス・パリで絵を学びたいという強い欲求を持た
れるようになり、様々な困難を乗り越えて、渡仏される。
2度にわたる渡仏生活の中で、彼は懸命に絵を描かれるが、厳しい暮らしの中で病を得、30歳の若さでパリで客死される。
従って彼の絵の大半はパリで描かれたものであり、しかもその対象は、パリの雑然とした街並み・建物が主だった。
描かれたのは街並み・建物だが、そこには彼の絵にかける熱い情熱、彼の深い魂が感じられる。
今回、そんな彼の絵の素晴らしさを写真で紹介したいと思ったが、展覧会場では彼の絵葉書が売られてなく、仕方
なく買った下の本の中から、少しだけ写真で作品を紹介したいと思う。
(ただこの本は残念ながら印刷(色)が良くなくて、彼の絵の素晴らしさが伝わりにくいのでは、と懸念している。)
本の表表紙 裏表紙
(贔屓の引き倒しで、佐伯氏のことをぺらぺら喋った感じになってしまったが、ここから展覧会の日のことを書きます。)
美術館は5階建てのキューブ型だが、展示場はその4階と5階にあった。
4階の展示場までは、長いエスカレーターで上って行く。
2.3階は吹き抜けになっていて、4階からは、3階の様子が見下ろせた。
展覧会場に入ると、先ず、佐伯祐三氏の作品を展示した部屋があった。
そしてその後の部屋では、この展覧会でやっと日の目を見ることになった作品の数々が、次々と展示されていた。
ほとんどの作品は撮影禁止だったが、中に指定された作品だけは撮影が許されていた。
(その中から4点だけ、次に載せます。)
マリー・ローランサン「プリンセス達」 佐伯祐三「郵便配達夫」
モーリス・ルイス「オミクロン」 (1960年)
石崎光ヨウ「白孔雀」 (1922年)
一応全部の作品を見て5階の展示室を出ると、久しぶりの展覧会でかなり疲れてしまった。
私と同じような方々が、5階の窓辺の椅子に座って、外を眺めておられた。
私も同じように外を見ると、中之島のマンションやビル群が並び、下を見下ろすと、広い道路が走っていた。
もう帰ろうとして外に出ると、何人かの方が、建物の入り口付近のオブジェのような物に、カメラを向けられている。
何だろうと思って私もそのオブジェのようなモノを見上げると、どうも、この美術館のシンボルとして創られた「シップス・
キャット(ミューズ)」とのこと。
よく分からないながら、私もカメラを向けた。(2枚)
そのあと、疲れた体を引きずるようにして、私は帰途についた。
美術館の黒い壁をバックに撮った「シップス・キャット」
隣のビルと一緒に撮った「シップス・キャット」