いよいよ憬れのパリでの画家生活が始まった。
佐伯の最初のパリ生活は、1924年1月からの、約2年間。
(2年で終わってしまったのは、病により1926年1月、一旦帰国しなければならなくなったからだが…。)
とにもかくにも、憬れてやっとたどり着いたパリで、彼は、自己の作風を模索しつつ、精力的に絵を描いていく。
ここからは、最初(1回目)のパリでの画家生活の中で、佐伯が残した作品を載せていきます。
「パリ遠望」 1924年 (この絵は他の佐伯の絵とちょっと違う感じを受ける。セザンヌ風?)
題名? 1924年
「オワーズ河周辺風景」 1924年
「塔のある建物」 1924年
「オーヴェールの教会」 1924年
※「オーヴェールの教会」があるオーヴェール・シュル・オワーズは、ゴッホ終焉の地として知られている。
佐伯は渡仏して間もなく、ゴッホ兄弟の墓を詣で、ガシェ博士という方が所蔵されているゴッホの作品20点余りを
見せてもらったそうだ。
上の絵は、オーヴェールを再訪した時に制作されたもので、ゴッホ最晩年の作とほぼ同じアングルと構図で教会
堂を描いているのだそうだ。もちろん色彩的には、色鮮やかなゴッホの絵とはずい分違ったものになっている。
「煙突のある風景」 1924年
佐伯は1924年末に、郊外のクラマールから、パリ15区の下町のアトリエに移り住み、そこから彼の関心は専らパリの町
並み(建物)そのものへと移っていく。
そこには、当時詩情豊かなパリ風景を描いて人気を博していた、ユトリロの影響があったと言われている。
しかし佐伯は、ユトリロよりも一層、パリという街の真実に迫っているように、私には思える。
彼はパリの町並みや建物、場合によっては、一つの建物や建物の壁のみを描いて、パリという都会の真の姿、そこに
住まう人々の暮らしの様や哀感までを描き出しているように、私は思う。
それが、佐伯絵画の神髄であり、佐伯の絵画が人々の胸に刺さると言うか響く由縁なのだと思う。
以下、彼がパリの街と向き合い、格闘しつつ描いた絵を、描かれた順番に載せていきます。
「パリ15区街」 1925年
「街角(モロ=ジャフェリ広場)」 1925年
「運送屋(カミオン)」 1925年
「レ・ジュ・ド・ノエル」 1925年
「パリの街角(家具付きホテル)」 1925年
「コルドヌリ(靴屋)」 1925年
「壁」 1925年
「門と広告」 1925年
「パストゥールのガード」
※佐伯一家は日本に帰国するため、1926年1月14日にパリを離れた。この絵はその朝、佐伯が作家・芹沢のもと
を訪れて渡した、2枚のうちの1枚だそうだ。