コロナ禍のなか、今回の大雨では、沢山の方々が被害を受けられ(お亡くなりになった方も沢山おられて)、テレビでその
映像を見る度に、心が引き裂かれる思いになります。
熊本の球磨川流域で被災された方々は、たぶん高齢の方が多いだろうと想像されます。
ずっと慣れ親しんだ故郷の川が氾濫し、それによって命を絶たれた方の無念さ・悲しみは、いかばかりかと思います。
命は奪われなくても、長年住み慣れた大事な我が家が、無惨な姿に変わり果ててしまった、という方も多くおられます。
家に流れ込んだ濁流によって、家財はぐちゃぐちゃになり、畳はもち上がり、床は厚い泥で覆われている。
被害に遭われた人々はもちろん、テレビを見ている私も、怒りにも似た感情に襲われます。
ここからの復興は、どれだけ大変だろうと思っていた矢先、県内に限定されているにも拘わらず、多くのボランティアの方々
が駆けつけられました。
県内に限定されていることもあって、ボランティアの方々の多くが、どちらかと言うと、高齢であるようにも思われました。
そんな彼らが、泥を掻き出したり、壊れた家財を運び出したりされている姿は、それを見ているだけの私の心にも、灯り
がポッとともされたようで、何ともありがたく頭が下がる思いです。
何もできない自分を恥じつつ、彼らに心からの感謝を捧げます。
上記のことがあって、ずっと前にテレビで取り上げられていた<浅香朋美医師>のことを、やっぱり書いておこうと思った。
(番組は、NHK BS1で5月30日に放送された「ひとモノガタリ」・≪メスは持たないけれど~外国人患者と向き合う女性
医師~≫だった。)
その番組の女性医師というのが<浅香朋美さん>なのだが、彼女は、両親の仕事の関係で、アフリカ・ケニアで育った。
ケニアでは貧しさのため病気をしても治療を受けられない人が多く、高校生のとき、その人々を目の当たりにした彼女は、
医師になることを志す。
そして30歳で外科医になり、その後は、多くの貧しい人々をメスで救ってこられた。
真ん中が、浅香朋美医師
しかし結婚し子どももできた彼女は、外国での生活を諦めて帰国され、成田空港に程近い「成田赤十字病院」で働かれる
ことになる。
しかし日本の病院であっても、外科医と家庭の両立は難しく、そんな折病院の方から、「外国人対応」の仕事を頼まれる。
成田赤十字病院は、その病院がある土地柄から、外国人の入院患者が多く、最近では外国人の患者が、3年で3割増加
しているという。
しかもその外国人患者の多くは、不法滞在であったり、日本に働きに来たもののお金が無い状態で、病気や怪我をして、
入院せざるを得なくなった人たちなのだそうだ。
病院としては当然、外国人患者にも、かかった治療費や入院費用を払ってもらわなければならない。
しかし、外国人の入院患者(やその家族)には、その費用が払えない人も多いのだ。
浅香医師の仕事は多岐に亘るが、その中でも、病院側と外国人患者の間に立って、治療費の支払いをどうするかを話し
合うというのが、最も困難な仕事だった。
彼女は、時に外国人患者に対する不信感を感じることもありながら、一人一人の外国人に寄り添い親身に話を聞くことで、
外国人患者の信頼を得、心を通い合わせて、最終的には外国人患者の立場に立って、問題の解決に努められる。
その困難で、地道な「闘い」と言ってもいいようなこの仕事を、ある時は泣きながらもやっていかれる彼女の姿は、深く私の
胸を打った。
そして、彼女の地道な努力が実って、治療費・入院費の支払いの方法が決まり、外国人患者が笑顔で退院していくとき、
浅香医師は最高の幸せを感じられるのだという。
入院費が払えなくて困っていたフィリピン男性のつぶやき…
浅香医師との心の交流をとおして、フィリピン男性は、
そして、別れと祝福と感謝のハグ
浅香朋美先生、あれからも先生の苦闘は、ずっと続いていることでしょう。
大変でしょうが、どうかこれからも、苦しむ外国人の支えになってあげてください。
私は先生のご活躍を、心から応援しています。
「浅香朋美医師」のことを紹介されたTVの番組は見ていませんでしたが、まだお若いのに素晴らしい先生ですね。日本は医療保険制度が充実していますので、恵まれていますが、外国人は大変ですね。どんな人も医療を受けられるような世の中になって欲しいです。
私は何もがんばれていませんので、がんばっておられる方に、せめて共感を寄せるだけです。