百翔

あした天気になぁれ!

 おんけい

2006-09-24 | Weblog

ここに来て
「小泉」憎し「安倍」憎し
を公言して「もらうものは、もらう」(対決は避けて)
と言う風潮を感じるが
それでは、折角のチャンスに、何も得られない。
冬には、冬の恩恵がある。

例えば東京に出た時
一般には移動に電車なり地下鉄なりを使う
その時、感じるのは、動く集団のスピードの中
自分の行き先を頭に入れて、何番線の何行きに乗るのかを決め
他人の流れに乗ったり、斜めに横切ったりして目的のホームに行き
方向を確認して電車に乗り込み目的地に向う
それはある意味で孤独な行為であり容赦の無いものである。
彼らは、否応なしに、日常的に「競争」にさらされ
それなりに、知識を得ている。

そして、我々の住む田舎
競争は、あるが、スピードの無い複雑なものである。
都会のそれが「絶対的」であるなら
田舎のそれは「相対的」と言えるもので
素朴と言うイメージとは裏腹に
自分が「努力するのでなく」、「相手を落として自分を上げる」
安易な方向に向っているのではないか?

我が「日本国」は民主主義の国であり
それは、「自由競争」によって富を生み出し
その「富が適正循環」することにより
社会が動き、国家が安定する。

そして、その潤滑油となるのが文化であり
文化には、「けじめ」が必要である。
①個人なのか、公共なのか
②営利なのか、奉仕なのか
③教育なのか、福祉なのか

そしてこれらの根底には「自由競争」があり
「自由」を守る為に「何が必要」か
「得る」為に「捨てる」のは何か
常に「問う」必要がある。
常に「得る」為には「捨てる」必要がある。

コメント
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