湯築城は中世にはめずらしい平山城である。防衛部分が丘陵部である。現在では山頂に展望台があり、登ると松山市内がよく見渡せる地に拠点を構えたのかと、立地に納得。
(↑遠くの山に見えるのは松山城)
一方平地部分には、武家屋敷跡など居住地域があったようだ。有事は丘陵部、平時は平野部に住んだと思われる。湯築城跡では土塁の中にも入ることができ、どのように土塁が形成されたかを見学することができる。土塁部分を削ってその中の構造を考古学的にみることができるというもので、詳しい解説もついている。なかなか貴重な展示である。
かつて動物園があったスペースである平野部はだいぶ発掘調査が進んでいるようで、建物跡だけでなく、土坑跡(ゴミ捨て場になっていたらしい)や、庭園があったと思われる池の跡の遺構などがみつかっている。
なかなか文化水準が高い城だったようである。武家屋敷跡には2つの屋敷が再現されていた。
ひとつは中で連歌の会を推定復元していた。能登畠山氏でも連歌が盛んだったので、このような形で催されていたのかと物思いにふける。もうひとつの復元屋敷は、その屋敷あとから発掘されたものが展示されているなど、資料が展示してあった。
さて次は、いよいよ湯築城資料館である。