畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

大阪・京都オフ~其の1~

2012-03-20 15:30:00 | 歴史
 3月17日(土)・18日(日)に私の友達が大阪で結婚式をするので、大阪に向かうことに。それをきっかけに歴史大好きな足利義輝様、長続連様、武藤舜秀様と私の4人でオフ会を関西方面でオフ会をすることになりました。今回はそのオフ会のレポートです。



 やってきました大阪。私は以前車で来たことはありましたが、電車で来るのは初めて。今回は新幹線で2時間半。この前日、会社の顧客との飲み会があり、1次会で帰るつもりがうっかり捕まってしまい自宅帰りは午前様。そして翌日朝早かったこともあり、睡眠時間は3時間、二日酔いで最悪のコンディション…(泣)



 新大阪駅でまず習慣が違うと思ったのはエスカレータ。関東では左が「歩かない人用」、右が「歩いて登る人用(追い越し車線)」。これが大阪では逆。ちなみに京都駅では関東と同様右側が「追い越し車線」だったので、関西共通ってことではなさそう。


 待ち合わせ場所が「大阪駅前ヨドバシカメラ」だったので、大阪環状線に乗り換えて移動。その時にもビックリ。

 関東では電車のドアの上に電光掲示板の画面がある。これだと座っている人や座席中央付近に立っている人はとても見にくい。ところが大阪の電車は上記写真のように座っている人からでも見やすい方になっていた。これはすごくいいな!って思った。


 さらに大阪駅に到着してびっくり。駅の中がとても明るい。

大阪駅は昨年完成した大きな屋根ができてとても開放的になった。

 さらに大阪駅周辺も再開発が進んでおり、まだまだ開発が続いていることがわかる。東京駅よりも開放的で綺麗だなって思うし、さすが西の都だって思う。


 改札から徒歩2分でヨドバシカメラで武藤舜秀様と、長続連様と合流。そしてまずは本屋へ。

 「この丸善&ジュンク堂は日本一の品数」と武藤様談。確かにすごい品数。吉川弘文館の本もかなりおいてあります。そこで買った本がこちら。

 鎌倉武士や戦国大名が作った都市の道路に関する法を見ながら、武士の都市政策を探ろうとするものです。聞くと難しい内容に思えますが、意外にすごくわかりやすい言葉で書いてあって一気に帰りの新幹線で読んでしまいました(笑)これお勧めです。


 さて、時間は12時。お昼は大阪ですから串揚げでも!ってことになり、長続連様が知っているお店にGOです。

 食べ放題で1500円(ソフトドリンク付きは200円追加)です。

 いろんな素材があります。定番のお肉から、エビなどの魚・野菜。面白いものだと、ミニたい焼き、たこ焼き、ハッシュドポテトなどなど。

 串揚げのほかに、ごはん、カレー、お茶漬け、サラダ、デザートまで食べ放題!スゴイ。

うまい!…だからまた食べ過ぎて体調不良悪化…(泣)


 荷物を持ったまま観光は大変なので、一度荷物を置くことに。そこでタクシーで私が宿泊するホテルニューオータニに移動。結構高そうなホテル。そこを出て次は大阪城に行くことに。ホテル近くの大阪城ホールを通っていきます。

 大阪城ホールには石垣みたいなものがあるけど、これは大阪城と景観を合わせるために近年に作られたものみたい。



 大阪城ホールを超えると、お堀が見えてきます。その堀の石垣は明らかにくすんでおり、これは本物の石垣なんだとわかります。いよいよ大阪城です。

 大阪城の全体図はこんな感じです。



 こちらは青屋門。かなり大きな石垣が積まれています。立派な枡形です。



 大阪城本丸へ渡る橋は「極楽橋」といいます。この橋は本願寺があったことからかその名称が受け継がれたのはないかと言われています。その極楽橋からみた大阪城がこちらです。

 この天守閣を見ると、大阪城=太閤はん=豊臣秀吉を思います。しかしこれら現存する石垣や曲輪は徳川時代のものだと言われており、本丸近くの井戸にも徳川の家紋がありました。豊臣時代の大阪城の模型などがあればいいのにっと思いますね。



 極楽橋を渡ると山里丸を通ります。そこは大阪夏の陣で豊臣秀頼と淀殿が自刃した地の石碑があります。



 山里丸にはこんなスロープが設けられています。バリアフリー?史跡保護?たぶん観光客の利便性のためでしょうか?史跡破壊のような気もしますが…そういえば天守閣付近にもエレベーターが設置されていました…。



 いよいよ天守閣です。残念ながらコンクート天守です…が、よくよく説明看板をみると、大規模復興天守閣の第一号でその創建は大阪市民の寄付により1931年らしいです。「大阪夏の陣屏風」に描かれた豊臣時代の天守を参考に再建され、第二次世界大戦の空襲も免れているとのこと。徳川時代の遺構に、豊臣時代の復興天守閣というなんとも奇妙なものではありますが、復興天守閣第一号に戦災を免れたということが大阪市民の誇りでもあるかかなと思います。だから大阪城は太閤はんのものでOKっていうことで。


 復興天守閣の中に入城します。復興天守閣と、大阪歴史博物館込みのチケットで900円です。

 中では大阪夏の陣などの展示があります。あまり興味がなかったのでスルー・・・。

 また戦国武将に関するグッズが多数。大阪城に関する書籍もちょっとはあったけど、メインはお土産でしたね。

 徳川時代の天守閣の模型がありました。結構質素ですね。

 太閤の兜の実物模型があり、一回300円でかぶれます。

 豊臣時代の石垣が発見された写真がありました。現在の石垣のわずか1.8m下にあるそうです。現在の遺構は徳川時代のものですが、やはり豊臣時代もかなり大規模なものだったんですね。残念ながら豊臣時代の石垣は埋め戻されてしまっているそうです。


 天守閣からの眺めです。大きい城だけに眺めもいいですね。復興天守は55mほどの高さがあるそうです。豊臣時代の天守は40mほどだったらしいですが…。天守の瓦は緑になっています。これは銅の瓦がさびたもので、新しく吹き返している瓦は真っ黒でした。



 先ほどの極楽橋が見えます。その周囲に石垣がはりだしており、戦になったらここで防衛するんだなあとわかる配置地形です。


 さて、天守閣を降りて次の場所へ。

 この小さな隅櫓は「六番櫓」です。徳川時代に建てられたもので、東西に一番櫓から七番櫓までたてられていたようです。この付近に小さな石碑があります。

 「石山本願寺推定地」の石碑です。こういうちょっとした歴史的なものを逃すとものすごく損した気分になります。教えてくれた続連殿に感謝。



 写真は大手門に立つ櫓です。大阪城は石垣のみのところが多いですが、この大手門は塀も多門櫓も現存しています。それをみるとまるで鶴ヶ城(会津若松)のようです。石垣は江戸城のごとく巨大な石が使われています。大阪城の遺構が徳川時代のものであることを考えると、鶴ヶ城や江戸城と雰囲気や配置が似ているのは当たり前のことなのかもしれません。


次は、大阪城歴史博物館に行きます。