畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

大阪・京都オフ~其の3~

2012-03-22 21:25:00 | 歴史
 さて結婚式の飲みとその後の飲みで寝るのが午前2時となり、起きたのが7時過ぎ。急いで朝食を食べに行き、荷物の整理。やっとホテルを出たのが8時過ぎ。長続連様との約束で9時京都駅だったのに、約束の時間に遅れそう…。


 さて、大阪・京都オフ2日目です。ホテルがある「大阪城公園駅」から大阪環状線に乗って大阪駅へ。

 大阪環状線でこの日103系に乗って萌え~っとしたのは前回のブログ通り(笑)

 大阪駅では「大阪ステーションシティー謎解き総選挙」なるイベントをやっていました。“巨大都市大阪駅”全体を使った壮大な宝探しゲームです。広告に「この”まち”をおもろくするんはオレや!」ってコメントがあって、こういうところも大阪っぽくていいな。さて、大阪駅から東海道線の新快速に乗って京都へ。新快速に乗ると、大阪→新大阪→高槻→京都とわずか4駅目で京都駅。時間にして35分ほど。早いなあ~。それでも京都についたのは9:14。遅れてごめんなさい。


 京都駅にてどこを回ろうかという話になったとき、3人様は私の体調を考えてくれて「山城めぐりは無理ですね…」ということになった。本当にありがたいことです。そこで、相国寺の特別公開で「開山堂」の鳴き龍が見れるということで訪問。

特別公開ということもあり、拝観客が多かった。私たちが見終わったころにちょうど団体客がきて、こんなに人が来たら景色も台無し…なんておもってみたり…。


 開山塔の「龍渕水の庭」です。白砂の庭がまるで銀閣のようできれいです。



 相国寺のお墓には「足利義政」の墓がありました。隣にある墓が「藤原定家」?なんでそんなジャンルが違う人と一緒?


 次は石碑めぐりです。京都は、江戸時代以降の寺社仏閣などはたくさんあるのですが、室町時代以前になると極端に史跡が少なくなります。その理由はまずこちらです。

 「応仁の乱勃発の地」の看板です。同地に石碑もあります。1467年に始まり10数年にも及ぶ戦乱で京都の街はかなりが焼け野原になりました。このせいで中世以前の建物が残っていないという面はたぶんにあると思います。この看板は、上京区にある御霊神社の鳥居近くにあります。残念ながらこの神社に応仁の乱などの資料館などはありません。私たちが訪問したときには、バザーみたいなものをやっていました。

 ここで、長続連様は神戸に用事があるというので、お別れです。今度はぜひ夜までご一緒でして歴史談義にでも花を咲かせたいものです。


 もうひとつ、史跡が残っていない理由がこちらです。

 「従是東北足利室町第址」とあります。京都に置かれた室町幕府。その本拠地でありながら、室町幕府の専門の資料館などもありません。室町御所の復元展示などもありません。発掘調査すら積極的に行われているわけではありません。これは、京都の宅地開発が進んでいるということもあります。
 しかし、足利義輝様と道中にこんな話をしました。「戦前に南北朝における南朝の正当性が論じられて、室町幕府は逆賊扱いされた」ことが、戦前までにおける室町幕府研究を阻み、積極的な史跡保護も行われなかったのではないでしょうか。戦前では室町幕府の再評価などを行うと逆賊扱いされていたようです。室町幕府研究は実質的に戦後から始まりました。だから室町幕府の将軍なども現在においても正当な評価がされていないのではと思うのです。それに加えて、関東出身の足利氏を京都の方々は外来者とみなしているから積極的な史跡保護がないのかもしれないと思ってもみたり…。


 さて、次は足利関連の京都唯一ともいえる史跡。「等持院」に行きます。京都市営バスで「等持院道」下車。かなり歩きます…。そこで武藤舜秀様が「この近くに堀川天皇火葬塚がありますよ!」というと、俄然足利義輝様が興奮気味に!!「ぜひ行きましょう。」

 住宅地のど真ん中にある「堀川天皇火葬塚」こんなところも宮内庁所管なんですね。京都にはこういう場所が結構あって、やはり1100年ちかく都が置かれたところなんだなあ…と思いました。



 バス停から降りて15分ほどたってようやく「等持院」の門に。といっても門の中にも普通に住宅があります。こういう例は結構ほかの寺院などにもみられます。明治期の廃仏毀釈の流れで金銭的に困った寺院が土地を切り売りした。そこに元の門があったところに石碑が残っていたり、門だけ残っている…そういう例なのかもしれません。



 等持院は元々仁和寺の一院だったそうですが、1341年に足利尊氏が夢想国師を開山として中興し、足利氏の菩提寺となった等持寺の別院となり臨済宗天龍寺派となった。ただたびたび火災の被害にあったようで、現在の建物は江戸後期のものであるといいます。
 等持院の見どころは、何と言っても歴代足利将軍の木像です。最近伝足利尊氏像が高師直と言われているので、足利尊氏の木像の貴重な資料です。15代将軍の中で等持院にある木像は13体。無いのは5代義量と14代義栄。昨年に等持院に行ったときには通説の足利将軍の代数と違っていた。14代を足利義輝とするなど、再任された足利義稙を12代とカウントしていた。しかし、今回訪れた時には通説通りの代数でカウントしていた。私は何か信念があって通説と違う代数を展示していた(たとえば、14代義栄を将軍として認めていない)のかと思っていたけど、どうやらそうではないのだろうか…。(展示換えが面倒くさかった?)将軍木像は撮影禁止なので写真はありません。




 趣ある建物です。さらに白砂の庭と苔の庭が合わさりすごく落ち着いた雰囲気。あと、観光客がそれほど多くないというのも利点です。これが竜安寺だと庭もスゴイ趣があるのですが、観光客も多すぎるのでゆっくりできません。それがここ等持院ではこんなもことが楽しめます。

 足利の家紋である「二引両」の茶碗でお抹茶を飲む。お菓子は「芙蓉の月」という等持院オリジナルブランド!!皮に弾力があり、餡にはハチミツが入っている上品な甘さ。お土産にもいいなって思うけど、ちょっと高いかな?確か8個1200円。このお庭を見ながらゆっくりお茶をすする・・・それがどんなに上品で落ち着いた光景だろう。さていつもは早食いと言われる私だけどゆっくりいただきましょう…と思ったら、武藤様も足利様も飲むのが早かった(笑)


 さて、次の場所はかなり歩いて疲れているし、足利史跡もあまりないので、京都府立図書館で地元資料を探すことに。調べてみたら平安神宮の近く。足利様の交通案内(すごく京都にお詳しい)で、バスを乗り継ぎ図書館へ。平安神宮の近くにとてもおいしくて安くてボリュームのある洋食屋さんがあります「グリル小宝」っていうんですけど、みなさんで今度行きませんか?その時には公方様のお目当ての焼酎を河原町で買いにまいりましょう!


 さて平安神宮前の来ました。

 めっちゃ大きい鳥居が道路に立っています。鳥居を車でくぐるってのがなんか罰当たりな感じもしますが…今回は図書館がメインなので、平安神宮には行きませんでした。残念。鳥居の奥に見えたので写真を一枚。

 では図書館へ。

 建物は古い洋館のようですが、中はリニューアルされているようで、ピカピカでした。高い建物にできないためか、地下にも図書館が広がっていました。そこで何冊か本をコピーできました。花の御所が大学校舎の建設に伴い何ヶ所か発掘調査がされているようで、その関係の本をコピッてきました。


 今日中に東京へ戻らなければいけないので、図書館を出たら今回の京都オフはいよいよ終了。京都駅に向かいます。…着きました…ってブログでは簡単に書けるけど、バスに乗ったはいいけどメッチャ道路が混んでいて京都駅までかなり時間がかかりました。1時間くらいかかった?足利様は「途中で降りて地下鉄に乗りますか?」とおっしゃったのですが、バスの座席に座っていたのでそのまま乗り続けてしまう選択をした私の判断ミス…。さすが公方様は京都に詳しい。

 さてお土産タイムです。「京都の恋人」なんて売ってます。「白い恋人」怒らないかな?そういえば、吉本が販売している「面白い恋人」って訴えられていますよね。「○○の恋人」ってやっぱパクリだよねえ。そして、それぞれお土産を買って帰宅路へ。


 私は京都駅から新幹線で東京まで。

時刻表をみて違和感…超特急の「のぞみ」(京都から上りだと基本、名古屋・新横浜・品川・東京しかと回らに)ばっかり。特急の「ひかり」(基本、名古屋・浜松・静岡・新横浜・品川・東京)は多くなく、各駅停車の「こだま」は本当に少ない。「こだま」しか止まらない駅を誘致した自治体はしっかりと収益が上がっているのだろうか疑問。



 そんなことを考えつつも、新幹線に乗車。疲れていることもあり、すぐ睡眠。面白いことに、上りも下りも元住んでいた「浜松」付近で一旦起きる。やっぱり浜松は見ておきたいんだろうなぁ。行き(下り)は元住んでいた自分が見える方に座っていた。帰り(上り)は高層ビルがあるアクトタワーを見て満足。天竜川が見えることには再び睡眠。夢の中で、「そういえば、浜松城も掛川城もレポートしてないから、夏にでも行くか…」なんて思ってました。


これにて大阪・京都オフ終了~!