畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

安土城訪問記~資料館編~

2020-02-08 11:25:00 | 歴史


 2008(平成20)年にちらっとみて、時間の都合で登城しなかった安土城。訪れた時は滋賀県蒲生郡安土町だった。2002(平成14)年に五個荘町、能登川町、安土町の合併で「安土市」となる予定であったが、その名称により市民の反対が多く頓挫する。そして2010(平成22)年に近江八幡市と合併することになった。歴史ある地名である安土という自治体名は消滅してしまった。

 そんな安土が一番脚光を浴びたのが、安土城があった時期。中学校の歴史の教科書にも記述があるほど。誰もが知っている城である。今回は安土城の資料館や城跡を見ていきます。


 私が城館を訪れる時には、まず資料館などがあれば先に行っています。それは見るべき箇所が資料館を訪れることによって明確にわかり、見るべきスポットを見逃すことが少なくなると思うからです。これも人の好みで、城館を訪れてから解説を見たい人もいるでしょう。ぜひ自分のスタイルにあった見学を!



JR東海道本線の安土駅徒歩30秒にある「安土城郭資料館」。

ここの売りはなんといっても安土城の復原模型です。

このすごさは…

なんと可動式で模型の内部が見られることです。

 安土城の1579(天正7)年に完成したものの、本能寺の変が起きた1582(天正10)年に僅か3年で焼失した、有名であるが命短き城である。その全貌は『信長公記』所収の「安土山御天守之次第」で知られていたが、近年加賀藩作事方御大工池上家文書中に「天守指図」という新史料によって、復原的な考察が可能になった。

それでも学者によって多少差はあるが、この資料館の復原模型は内藤昌氏によって考案されたものを基本にしている。



 この模型は観音寺城の全体模型である。そして写真の左奥にある小さな山が安土山であり、この資料館で取り上げている安土城がある山である。この地形模型で見るとおり、六角氏の本拠城であった観音寺城と、織田信長が大規模な拠点として作らせた安土城は地理的に隣接している。普通、近隣に大きな山があるとそちらに拠点を築きたいものだが、あとの城郭編でお伝えするように、信長の城作りはやはり中世的な防御面を重視した観音寺城より、近世的な象徴性を重視したと城と言える。



 この安土城の絵図もこの資料館にあるものです。1581(天正9)年にイエズス会の宣教師ヴァリニャーノに贈った屏風絵の複製です。他にも「安土城下町」「京都」「長崎」「マカオ」「リスボン・ローマ」の様子が描かれたものも展示されています。複製とはいえここまで近くで見られるのは嬉しいなと感心していました。

あと、個人的に興味深かったのは、安土城の発掘の様子。

発掘前の大手道の様子。寺の石垣でまったく安土城の面影がありません。


それが発掘調査がされたことにより、大手道が発掘されます。所々石が抜けていますが、それを復原すると…


このように現在見ることができる姿になります。文献調査だけでなく、発掘調査でわかることもかなり膨大なものがあると気づかされます。この3つの写真で比較すると、「伝徳川家康邸」の石垣は、幕末に総見寺(総は旧字体・文字化けするので常用漢字を使用しています)が築いたものが現在でも一部見られることがわかります。つまり、大手道をふさいでいたかつての寺の石垣は、安土城跡の石垣を延長したものなのか、それとも手つかずとしてこの寺の石垣を撤去していないのか…知りたいなぁ…。


この資料館でも、安土城や観音寺城の資料が売っています。訪れた年は2020(令和2)年なので、大河ドラマ「麒麟がくる」(明智光秀が主人公)の書籍も多く取り上げられていました。こちらでいくつかの安土城と観音寺城の資料を購入。


では、資料館を後にし、次の「安土城考古博物館」へ。車で移動する途中の前方には…

左が安土山で右が観音寺山です。写真は、歴史お友達「戦国放題こたつ城」(http://kotatu.jp/)様のこたつ城主様ばりの2枚の写真を合成させてみました。


博物館周辺は埋蔵文化財収蔵庫やもう一つの目的地である「安土城天守信長の館」があり、公有地化されている一帯であることがわかります。

では目的のひとつ博物館へ…

平日ではありますが、やけに人が少ない…?

やられました…展示替えのために休館日でした。仕方なし…。見たかった。

では気を取り直して、

ここから徒歩1分で行ける「安土城天守信長の館」へ。

良かった!こちらは開館していました。


ただこちらのメインとなる、安土城の5層・6層の建物ですが、著作権のため個人的な写真撮影は可でも、ネット掲載はダメだそうです…。どこか一箇所でも写真撮影可でネット公開できればインスタやツイッターなどで広がるでしょうが…難しいですね。


 なぜこんな大規模の復原を行ったのか。それは1992(平成5)年にスペインのセビリア万博の日本館のメイン展示として作られたものを、そのまま廃棄するなら…と輸送し1994(平成6)年に日本で再構成して展示したとのことで納得。このような豪華な建物の一端でも見られるのは、万博のおかげなのですね。


 安土城を作っていた当時は機械もなく、この規模の築城はとても大変だっただろうな…と思います。しかも普請に対する作業賃金は驚くほど安かったとも聞きます。本当に現代に生まれて良かった。


もちろん安土城の天主閣の豪華さにも目をひきましたが、私が特に興味をもったのはこの料理。

「信長のおもてなし」とは有名で、信長自ら客人の給仕をすることもあったと言います。

この献立は「天正十年 安土御献立 復元レプリカ」だそうです。この献立は武田家を滅亡させた折にその功をなした徳川家康や穴山梅雪などを饗応した時の献立で、『続群書類従』を基に復元されたものだそうです。

 この饗応料理ですが、能登では畠山義綱が長家の屋敷に御成した時のもてなし料理が載っていますが、それとの共通点も多く、この「信長の館」の展示をみてその雰囲気を食品サンプルで知ることができました。書籍で『信長のおもてなし―中世食べもの百科 (歴史文化ライブラリー 240)』というものがあるようで、ぜひ購入して食についても研究して、能登での食文化理解につなげたいと思いました。



 ここにもお土産や書籍はありましたが、意外にも「安土城郭資料館」で売っていてこちらにはないものもあります。やっぱり出会った書籍は、買いたい時に買う方が良いようです。

それともう一つ。写真はないのですが、この資料館でとても有意義なものが「絢爛 安土城」というVRによる安土城の動画です。ダイジェスト版のみはYouTubeでも見れますが、こんなに壮大な城だったのかと本当に圧倒されます。そして最近のVR技術のすごさにも驚きます。資料館の動画なんてたいした事無いでしょう?と思ってもぜひこれは見て欲しいです。

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