今回の城館訪問記は「岐阜城」です。訪れたいと思ったきっかけは、2020(令和2)年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」(主人公明智光秀=長谷川博己主演)がきっかけです。それまで室町・戦国時代好きとしては、メジャースポットの城は観光対象から外していたのですが、大河ドラマというきっかけと、そろそろ手近で行きたい城(遺構がよく残っている城)も少なくなってきて、ではメジャーの城も行こうかと思って、今回「岐阜城(稲葉山城)」や「安土城」を訪問しました。が、結果はこの時期に訪問して大正解だった。と思います。特に岐阜城はそう思いました。そう思った理由は後述します。
私は岐阜城ちかくのホテルパークに宿泊しました。すべての施設の営業が9:00からなので、私も8:30ほどに宿を出て8:40ほどに岐阜公園に到着。麓の史跡を15分もみてロープウェイに9:00に乗れればいいだろうと思っていました・・・がすべては誤算でした。
・・・見るべき史跡が多すぎる。むしろ、室町・戦国好きとって岐阜城は山城の方ではなく、麓の「信長公居館跡」の方が見所でした。
岐阜公園入口の門です。凜々しい門や石垣が見えますが、ここは史跡では無いようです。
この銅像は、入口にあるものです。「若き日の織田信長銅像」と紹介されています。が、岐阜城を信長が手にしたのは1567(永禄10)年。信長は1534(天文3)年の生まれなので、もうこの時には30歳代半ば。とするならば「若き日の信長銅像」ではなく、その歳にふさわしい銅像にすれば良いと思いました。この銅像ならば「うつけ」と呼ばれていた時の頃ではないでしょうか?
観光バスの駐車場の横に、武家屋敷風の建物。それが「総合案内所」です。まだ時間が8:49でオープンしていませんでしたので、後回しにします。
この建物は「総合案内所」から徒歩30秒の「日本遺産・信長居館発掘調査案内所」です。ロープウェイの時間の都合上で、一番最後にしてしまったが、ここが今回の私の一番の失敗点でした。展示内容については、一番最後に紹介します。
ロープウェイの下にある「山内一豊と千代」の婚礼の地の石碑。まあ石碑が無いよりはある方が嬉しいです。で、私は岐阜の麓の「信長居館跡」はこのような石碑が数点あるばかりだと思っていました、しかし、事実はまったく異なっていました。
その認識を始めたのが、この冠木門の周辺。「大河ドラマの明智の幟が立っているな。そしてこの門もきっとそれ風の再現だろうな・・・」と思っていました。
その認識を覆したのがこの看板でした。岐阜城の事が詳しく書いてあるのと・・・
「麓の居館も発掘調査やっているんだ。詳しくその当時の建物の様子なんかが今後わかるかな・・・」とちょっとワクワクし始めていました。そして・・・
この復元CGに私は度肝抜かれました。よくみると、居館と奥の建物が渡り廊下でつながっている。さらに左側の庭園とも居館が渡り廊下でつながっている。そして左側の庭園では滝を見るための、空中桟橋のようなものが・・・。「これが本当に当時の建物のなのか?」「信長がまだ尾張と美濃を手に入れたこの時期に、こんな建物を作っていたのか?」ととても驚きました。現代の復元CGはかなり根拠が明確なので、この空中渡り廊下などは柱跡などが見つかっているはず・・・。と俄然興味がでてしまいました。この時点で8:55。ロープウェイは9:00から15分刻みで出発。9:00のは諦めて、9:15に乗ろうと考えました。
さて、この冠木門から信長居館跡に入ります。
当時の門はここから南にある「板垣退助遭難の地」の銅像ある位置だったようです。
居館の入口の正確な情報もかなり念入りに発掘調査で明らかになっているなあと思いました。ちなみに「板垣退助遭難」とは自由民権運動が全盛の際に斬りかかられて、死にそうになりながらも「板垣死すとも自由は死せず」と言った場所だそうです。でもここで死にはしませんでしたが。
写真にもある「巨石列の通路」です。実物を見てもかなり石が大きいし、この枡形を使って塀や櫓があったのだと思いました。
この看板を見て私が後悔したことにお気づきでしょうか?「解説番号②」とあります。そしてこのCG。そうです。私が時間の都合で最後に訪れることになった「日本遺産・信長居館発掘調査案内所」でタブレットを貸し出してくれ、往年の信長居館の姿を解説付きで見られるのです。この時点でかなり後悔しました。が、仕方ない。9:15にロープウェイ乗れるように頑張らねば!
奥の建物がロープウェイ乗り場です。
石垣の下にある小さな石垣。この正体はなんでしょう?
この看板を見ると、斎藤時代の遺構だそうです。見つかった階段は、斎藤道三・義龍・龍興時代のものだそうで、その上には火災が起こった地層が発掘調査で見つかり、攻略の際に火災になったのだろうと推察されるそうです。発掘調査によって斎藤時代のものまでわかるとは・・・なんて見応えのある城だ。
庭園跡だそうです。それを感じさせる展示は看板のみ。池跡や景石や池の上部にあった建物のの瓦で金箔のものが見つかったらしいです。できれば平面展示などもして欲しいな。で、この発掘調査は2017(平成29)年3月に行われたようです。つまりこの展示も最近されたと言えます。
この場所にはこんな展示も。地面の中にも石垣が・・・。これが斎藤時代の石垣の跡ですね。信長の居館に使われた石に比べるとかなり小さいもので構成されています。時代の移り変わりや、権力者の指向性の差が見て取れます。
このシートの状況は、発掘調査の途中であると言うことでしょう。
発掘調査中の建物は信長居館の中心建物です。先ほどの庭園で見つかった金箔瓦はこの建物から落ちてきたのですね。発掘調査中と言っても、このCGで細かく建物が復元されているのを見ると、現在は発掘しているのではなく埋め戻して整備しているのでしょう。
位置関係はこんな感じ。
説明板を見ると・・・
現状が同じです。これから埋め戻すのでしょう。埋め戻さずに、復元した建物を建てて欲しいな。
発掘調査されていない箇所でも石がゴロゴロ。これは普段からある石だと思えません。発掘調査で得られた石をどかしているのでしょう。
今後の発掘調査も楽しみです。
この広い場所。ここが館の中心部分です。
かつては千畳敷と呼ばれ、だだっ広い平坦地だと思われていたのでしょうが、信長の居館があったと思うと納得。しかも庭園がしっかりあったのですね。その居館の2階は・・・
濃姫の部屋と推定されているそうです。
居館中心建物から、奥を除くと、どうやらここも発掘調査が。
これが私がビックリしたCG復元図にある空中廊下からつながる部屋。中心建物の2階からかなり高い位置にある廊下が奥座敷につながっている。その奥座敷は茶室であったようです。よくその様子を見ることはできませんが・・・。
ロープウェイに乗った時に真下に見えます。かなり発掘調査をやっているようです。整備されたら、こちらもたぶん見学に行けるようになるんだと思います。あと何年後でしょうか?
さてこの時点でもう9:15になってしまいました。ロープウェイに乗る時刻は9:30に変更します。ただ、それが9:45になるとこの後の計画が大幅に乱れます。なので、9:30乗車は死守したいと思います。
中心建物から写真に見える谷川を渡ります。
この谷川にかかる橋は、現在は写真に見える赤い橋が建っていますが、往年の姿は
このような屋根付きの空中廊下があったようです。そして、もう1つ不思議だったのが、1つ上の写真にもあった、水の流れている谷川ともうひとつ水の流れていない水路。
往年は中心建物があった所から滝が流れていて谷川につながっていたようです。
位置関係はこんな感じです。現在シートがかかっている場所が、滝だったようです。当時の水路をイメージできる絵がこちら。
現在はこんな感じになっています。
ロープウェイから見るとよくわかります。どうしてこのように水路を変えたのでしょうね?
谷川をわたった庭園地区です。ここは巨大な岩盤が目立つ地区です。
ここは高さ35mの岩盤から滝がかつて2本あったようです。私が行った時にも水が流れていましたが、これは「信長公居館庭園整備」に向けた再現のための実験だったようです。
ここが私が復元CGで驚いた2つ目
滝を眺めるための空中桟橋。この空中桟橋からの滝の眺め。さぞかし美しいことでしょう。濃姫もこの景色を見たと思うと考え深いです。この滝のある区画。現在は池も無い状態ですので、「庭園整備」の計画があると言うことで、できれば池の復元もして欲しいです。
そして、空中桟橋があった所の現在は
大正天皇即位を祝う御大典記念事業として、1917(大正6)年に建立された三重塔が建っています。天皇関連の建物が現在建っているならば、空中桟橋は復元できても、その横の建物の復元はできそうにないですね。
さて、庭園も見終わって9:20。あとロープウェイ出発まで10分。この入口の旗は、NHK大河ドラマでもやっていましたが、斎藤道三の旗。演出がにくいです!
当初の予定から30分遅れたので、チケット購入も考えて9:27には乗り場に着いていたい。そこで、走って「総合案内所」と「日本遺産・信長居館発掘調査案内所」に行くことにしました。
「総合案内所」の中はほとんどが休憩スペースです。歴史以外でも岐阜市関連の観光パンフレットがありました。まさに案内所ですね。
さらにこの地区周辺の模型がありました。手前の川が長良川。左の山が金華山(稲葉山)。写真の中腹にある三重塔が大正天皇即位記念事業の場所です。やはり岐阜市の中心であるので、周辺はかなり開発されています。にも関わらず信長居館跡がこれほど状況よく遺構が残っているというのは全くもって奇跡です。
次は「日本遺産・信長居館発掘調査案内所」に行きます。「総合案内所」もそんなに見ることが無かったので、ここもきっと2・3分で見終わるだろうと思っていました。それが飛んでもない誤算に・・・。入ってみると、発掘調査の様子が建物の名前通りしっかりと展示されており、見応えが相当ある。ということで、1分で出てきて、ロープウェイで山城を見た後で行くことに急遽変更しました。
ロープウェイまで戻ると、時刻は9:25。大人は往復1100円でしたが、ホテル宿泊者のサービス券を使うと団体扱い料金で10%で購入できました。
まだ2・3分余裕があるので周囲を見て回ると・・・
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で斎藤道三役を演じている本木雅弘さんの人形が。恐ろしく似ております。最近の技術はスゴイ。そして明智光秀ではなく斎藤道三の人形という辺りが、やはり岐阜=稲葉山城のロープウェイでいいなあと思いました。
まあ、お土産ものは織田信長ものが多かったですが・・・。
のりば付近に、斎藤氏関連の古文書の複製や斎藤氏の歴史が展示されていて、小さな博物館のように楽しめました。2・3分では楽しめなかったので、ロープウェイを降りてからゆっくり楽しみました。
では、私の行動した時間軸を曲げて、本当はロープウェイを降りてから行った「岐阜市歴史博物館」兼「麒麟がくるNHK大河ドラマ館」と「日本遺産・信長居館発掘調査案内所」の様子をお伝えします。
この建物が「岐阜市歴史博物館」です。以前も行った方ならば「?」と思う方もいるかもしれません。手前にと右下にお土産物屋や食事処の仮設店舗が増設されています。訪れた日は平日でしたが、休日ともなるとかなりの人数が来るので、増設されたのでしょう。
入口も増設されているようです。「麒麟がくる」で一色。入場券売り場も増設されています。私は旅行会社で手配した「入場券付きの宿泊コース」にしました。
「岐阜市歴史博物館」が「大河ドラマ館」になっていた事は知っていましたが、まさか博物館常設展が大河ドラマ館と兼ねているとは思いませんでした。博物館のウリの一つに「楽市場の街並みを再現している」と言うので、行ってみたいと思っていましたが、一石二鳥でした。
基本大河ドラマ館はほとんど写真不可です。ドラマシアターで大河ドラマのメイキング映像や、登場人物の紹介を衣装を交えて詳しく展示。稲葉山城のジオラマはかなり精巧に作られていたので、これはおそらく大河ドラマ館が終わっても、展示されると思います。
写真がブレしてしまっているのが残念ですが、これがウリの楽市場です。写真OKです。
結構緻密に再現されています。
魚屋は現代の魚屋のように並べて売っていたんですね。そして振り売り(行商)の人が魚屋に買い出しに来ています。
この市場にはドラマに出ている人もパネルがありました。一人で訪れたので写真を誰かに撮ってももらうことはできませんが、パネルの横に立って写真を撮るのもいいですね。
これは、楽市楽座の制札が出されている場面を再現したものですね。制札はしっかり複製されたものが飾られています。
この場面は、稲葉山の斎藤道三の居館の主人の間を再現しています。大河ドラマ館のスタッフが写真を撮りますか?と行ってくれたので、実際に畳に座って写真も撮れます。
その後、おそらく博物館の常設展の内容である、所蔵品や古文書の展示がありました。
最後に、出演者の写真がありました。左かわ土岐頼芸役の尾美としのりさん。土田御前(信長の母)役の檀れいさん。明智光秀役の長谷川博己さん。帰蝶(信長の正室)役の川口春奈さん。織田信長役の染谷将太さん。
結構見所があります。まさか常設展と大河ドラマ館を一緒にしたとは思いませんでした。特別展は大河ドラマ館の入場料で入れるようです。今回は戦国時代のものではなかったので入場しませんでした。
今回の「麒麟がくる」のNHK大河ドラマ館は6つあるそうです。私が行った「岐阜大河ドラマ館」。「ぎふ可児大河ドラマ館」「ぎふ恵那大河ドラマ館」「京都大河ドラマ館(亀岡)」「大津大河ドラマ館」「福知山大河ドラマ館」があるようです。展示内容も違うので、6つを巡る旅も面白いかもしれませんね。
大河ドラマ館を見終わって、丁度12時くらいだったので、本当は昼食を食べたいのですが、時間もないので次に行ってしまいます。ただお店の名前が「織田信長」(たきやきなど)、「斎藤道三」(チキンなど)、「帰蝶」(戦国やきそばなど)、「明智光秀」(飛騨高山ラーメンなど)店名が工夫されていました。
最後に「日本遺産・信長居館発掘調査案内所」を紹介します。
中はそんなに大きい部屋ではないですが、
発掘調査のCGを現地で見て解説が聞けるタブレットを無料で貸し出しがしてもらえます。入場料ももちろん無料!
岐阜城の裏門の研究結果など、近年の発掘調査の結果がここで紹介されています。
織田信長に関するものだけでなく、斎藤氏時代の石垣などの、信長居館にあった展示の詳しい内容も紹介されています。
切ぶり。
しかも、このパネルの内容はすべて無料のチラシに内容が書いてある親切ぶり!
CGだけでなく、模型で復元図を表しています。これ案内所の人が頑張ってくつったんだろうな!スゴイ。できれば、まだ発掘調査が未調査のところの内容がわかって付け加えてほしい。
この模型を見ると、中心建物は2棟あり、信長の建物と濃姫の建物が分かれているのが一目瞭然。最初は同じだと思っていました。
さらに出土品などもここで展示されています。本当に最新情報がつまった歴史好きが満足する案内所でした。
ちなみに、ここのスタッフも素人ではなく、歴史が好きな方のようで、私が「ここまで館の様子が発掘調査などでわかったので、館復元の動きなどはないですか?」と聞くとすぐに「復元は明確な写真などが無いとなかなか動きが無いですからね。今の所、滝の復元などはあっても、館の復元などの動きは無いですね」と即答。
まさに岐阜城をこの年に訪れて良かったなあと思いました。もっと庭園やら館が復元されたら、再訪したいです。
では時間軸を戻して、山頂の城である「金華山編」へ。