先日、師匠に『春日龍神』のお稽古をつけて頂いたのですが、まさにその朝、ぬえが何も知らずに師家へ向かう時間に、観世栄夫先生はご逝去されていたのですね。。ぬえなりに喪に服すようなつもりでしばらく書き込みを止めていました。。これよりまた『春日龍神』についての考察を再開したいと存じます。。m(__)m
前シテの装束は前述の通り縷狩衣、小格子厚板、白大口という姿なのですが、この装束の取り合わせは神主の役に共通と言いながら、毎回困るのですよね。縷狩衣が白地なので、白大口を穿くと真っ白。そのうえ尉髪まで白いものだから、それこそ全身が白ずくめです。なにか工夫はないものか。。古い縷狩衣は茶色なのでまだ合うのですが、最近のものは真っ白で。。
さて「一声」を聞きながら舞台に入ったシテは常座にてヒラキをして大小鼓のコイ合を聞いて「一セイ」を上げます。「一セイ」は古来「謡う」とは言わず「上げる」と言い習わしています。このところ、本来の型はヒラキなのですが、右足で止まって、あらためて右足より二足ツメる型で勤めてもよいとされています。もとより右手に萩箒を持っているのでヒラキ、と言ってもあまり腕を拡げることはできないのですが、それでもヒラキよりは「ツメ」の型の方が「ふと」その場に現れた風情は出ると思いますので、今回 ぬえは「ツメ足」にて勤める事と致しました。
「一セイ」の文句は。。「晴れたる空に向かえば、和光の光あらたなり」という「一セイ」としては破格の文字数ですが、五・七・五・七・五の定型に外れる「一セイ」は割に多いのです。むしろ『春日龍神』の前シテの「一セイ」の問題はその節の少なさで、これはよほど ゆっくりと謡わないと囃子の打上に合いません。いや、囃子方もプロだから、シテがどんなに無頓着に謡っても その中で決められた手組は打ちきるでしょうが、その代わりかなりせわしくなってしまって、それ以降のアシライと齟齬をきたしてしまうのです。こういう節の少ない謡の場合は、シテの方でも心得を持って謡わねばなりません。
「一セイ」のトメ「あらたなり」で、さきほどツメた足を二足引きます。これも定型の型ですが、さきほどヒラキをした場合は、ここで再度ヒラキをします。ヒラキの方がシテの意志の積極性が表されるかもしれませんから、曲が切能であることも勘案して、シテの好みで「ヒラキ」「ツメ足」が選択されます。このあと「サシ」「下歌」から「上歌」の中盤にかけて、まったく型がありません。本来ならば「サシ」の止まりに二足下がって「下歌」でまた二足ツメるのですが、「一セイ」で下がっているのでこの型ができないのです。何もないのも良くないと思うので、今回 ぬえは「下歌」でツメ、そのトメの打切で下がることにしました。その後「上歌」の途中、「塵に交はる神ごころ」の打切より右にウケ、三足ツメて正面に直してトメます。
シテの「上歌」が終わるとワキが「いかにこれなる宮つ子に申すべき事の候」と声を掛け、このワキの謡のうちにシテはワキへ向いてその姿を認めて「や。これは栂尾の。。」と謡い出します。ワキは「宮つ子」と呼んでいるからシテの人相に覚えがなく、春日大社の社域で箒を持っているこのシテを誰とも知らぬまま明神に仕える社人と思って声を掛けたのであり、一方シテはワキが明恵であることを知っています。ワキは社人の中で自分を見知っている者は多かろう、と疑いもしないのでしょう、「只今参詣申す事余の儀にあらず。我入唐渡天の志あるにより。御暇乞ひのために参詣申して候」とすぐに自分が参詣した理由を明かします。おそらく最初に出会ったこの老社人に来訪の挨拶をかねて参拝の用意を頼もうとしたのでしょう。
ところがシテの答えはとても不思議なものです。「さすがに上人の御事は年始より四季折々の御参詣の時節の少し遅速をだに待ちかね給ふ神慮ぞかし」と、明神の意向を手に取るように自信たっぷりに伝え、さらに「されば上人をば太郎と名付け、笠置の解脱上人をば次郎と頼み、雙のまなこ 両の手の如くにて昼夜各参の擁護懇ろなるとこそ承りて候」とまで神の言葉を代弁するのです。
このところ、謡本では約11行に渡ってシテは詞だけを謡います。謡うのも苦しいけれど、むしろ節がない詞だけでこれほどの長文を謡うので、平板になってしまう事を恐れます。なんとか工夫はしたいけれど、それも内容が人の心情であればまだ工夫もしやすいけれど、神様の言葉ですから。。(;.;)
前シテの装束は前述の通り縷狩衣、小格子厚板、白大口という姿なのですが、この装束の取り合わせは神主の役に共通と言いながら、毎回困るのですよね。縷狩衣が白地なので、白大口を穿くと真っ白。そのうえ尉髪まで白いものだから、それこそ全身が白ずくめです。なにか工夫はないものか。。古い縷狩衣は茶色なのでまだ合うのですが、最近のものは真っ白で。。
さて「一声」を聞きながら舞台に入ったシテは常座にてヒラキをして大小鼓のコイ合を聞いて「一セイ」を上げます。「一セイ」は古来「謡う」とは言わず「上げる」と言い習わしています。このところ、本来の型はヒラキなのですが、右足で止まって、あらためて右足より二足ツメる型で勤めてもよいとされています。もとより右手に萩箒を持っているのでヒラキ、と言ってもあまり腕を拡げることはできないのですが、それでもヒラキよりは「ツメ」の型の方が「ふと」その場に現れた風情は出ると思いますので、今回 ぬえは「ツメ足」にて勤める事と致しました。
「一セイ」の文句は。。「晴れたる空に向かえば、和光の光あらたなり」という「一セイ」としては破格の文字数ですが、五・七・五・七・五の定型に外れる「一セイ」は割に多いのです。むしろ『春日龍神』の前シテの「一セイ」の問題はその節の少なさで、これはよほど ゆっくりと謡わないと囃子の打上に合いません。いや、囃子方もプロだから、シテがどんなに無頓着に謡っても その中で決められた手組は打ちきるでしょうが、その代わりかなりせわしくなってしまって、それ以降のアシライと齟齬をきたしてしまうのです。こういう節の少ない謡の場合は、シテの方でも心得を持って謡わねばなりません。
「一セイ」のトメ「あらたなり」で、さきほどツメた足を二足引きます。これも定型の型ですが、さきほどヒラキをした場合は、ここで再度ヒラキをします。ヒラキの方がシテの意志の積極性が表されるかもしれませんから、曲が切能であることも勘案して、シテの好みで「ヒラキ」「ツメ足」が選択されます。このあと「サシ」「下歌」から「上歌」の中盤にかけて、まったく型がありません。本来ならば「サシ」の止まりに二足下がって「下歌」でまた二足ツメるのですが、「一セイ」で下がっているのでこの型ができないのです。何もないのも良くないと思うので、今回 ぬえは「下歌」でツメ、そのトメの打切で下がることにしました。その後「上歌」の途中、「塵に交はる神ごころ」の打切より右にウケ、三足ツメて正面に直してトメます。
シテの「上歌」が終わるとワキが「いかにこれなる宮つ子に申すべき事の候」と声を掛け、このワキの謡のうちにシテはワキへ向いてその姿を認めて「や。これは栂尾の。。」と謡い出します。ワキは「宮つ子」と呼んでいるからシテの人相に覚えがなく、春日大社の社域で箒を持っているこのシテを誰とも知らぬまま明神に仕える社人と思って声を掛けたのであり、一方シテはワキが明恵であることを知っています。ワキは社人の中で自分を見知っている者は多かろう、と疑いもしないのでしょう、「只今参詣申す事余の儀にあらず。我入唐渡天の志あるにより。御暇乞ひのために参詣申して候」とすぐに自分が参詣した理由を明かします。おそらく最初に出会ったこの老社人に来訪の挨拶をかねて参拝の用意を頼もうとしたのでしょう。
ところがシテの答えはとても不思議なものです。「さすがに上人の御事は年始より四季折々の御参詣の時節の少し遅速をだに待ちかね給ふ神慮ぞかし」と、明神の意向を手に取るように自信たっぷりに伝え、さらに「されば上人をば太郎と名付け、笠置の解脱上人をば次郎と頼み、雙のまなこ 両の手の如くにて昼夜各参の擁護懇ろなるとこそ承りて候」とまで神の言葉を代弁するのです。
このところ、謡本では約11行に渡ってシテは詞だけを謡います。謡うのも苦しいけれど、むしろ節がない詞だけでこれほどの長文を謡うので、平板になってしまう事を恐れます。なんとか工夫はしたいけれど、それも内容が人の心情であればまだ工夫もしやすいけれど、神様の言葉ですから。。(;.;)