ぬえの能楽通信blog

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主人公がいない能~『春日龍神』について(その6)

2007-06-16 23:56:21 | 能楽
クセの中でワキは入唐渡天の計画を思いとどまる事に決心を固め、クセが終わるとワキはそれをシテに伝えます。このところ、ワキのお流儀により言い回しが異なるところですが、かなりその意味に違いが出てくるのが面白いところです。

ワキ福王流では「げにありがたき御事かな。即ちこれを御神託と思ひ定めて、この度の入唐をば思ひ止るべし」となり、一方ワキ宝生流では「あまりに御留め候ほどに。入唐渡天の事思ひ止まり候べし」となります。そのあとはどちらのお流儀でも同じ文句で、「さてさて御身は如何なる人ぞ。御名を名のり給ふべし」となります。

福王流のおワキでは、シテの物語の中で神託を感じ取り、かつは春日明神の神威にひれ伏して、その御許に留まることを決意した、という内容ですが、宝生流ではしごくあっさりと、シテがそれほど止めるなら。。というニュアンスですね。クセで詳細に語られた春日明神と釈迦の威光についての物語の意義は霧散してしまうことになってしまい、ちょっと地謡が気の毒かなあ、とも思いますが。。

さて、名を問われたシテは、ワキに向きながら新たな提案をします。「入唐渡天を止まり給はば。三笠の山に五天竺を移し。摩耶の誕生伽耶の成道、鷲峯の説法、双林の入減まで悉く見せ奉るべし。暫く此処に待ち給へ」という事なのですが、ワキとしてはすでに入唐渡天を思いとどまったのだから、もうこれでシテの目的は達成されたはずなのですが。。おそらくこれはワキへのご褒美なのでしょうか。

いやいや、まじめに考えれば、先に考察したように、春日明神はワキの明恵に、自分の身体の内に秘めた神性を悟って欲しいと考えているのだと ぬえは思っています。仏教の宗派を超えて、釈迦という人間に強い憧れを持っていた明恵(後述)が、釈迦が生きていた土地を訪れて、その息吹を肌で感じ取りたいと願ったのは、ごく自然な要求でした。春日明神が明恵の入唐を止めたのは、自分の片腕としていつまでも彼を手許に置いておきたかったでしょうが、それが入唐を止めた最も大きな理由ではありません。日本に留まって衆生の教下という現実的な仕事をさせたかったのも一義的なな理由ではなく、渡海する事で明恵が時間を浪費する事を惜しんだのも本義ではない。彼自身がすでに仏性を持ち、神性を携えている事実に、明神は目を開かせてやりたかったのではないでしょうか。

ここでシテは「摩耶の誕生伽耶の成道、鷲峯の説法」と身を起こしてワキに決める型をします。超人的な役の後シテの化身としての前シテの中入りの場面では割とよくある型で、役者は下居の格好から次第に身を起こして、伸ばしていた右足の爪先を自然に立てなければならないので、少々きつい型でもありますが。。ともあれ、このようにワキに決める型をする事によって、ワキに向けた新たな提案~「三笠の山に五天竺を移し。摩耶の誕生伽耶の成道、鷲峯の説法、双林の入減まで悉く見せ奉るべし」という壮大な奇跡がこれから現前に展開される、という事が現実味を帯びてワキに伝えられるのであり、ここでようやくシテが人間ではないのだ、という事も暗示されます。そしてさらに言えば、そこまでして行われる奇瑞が、単なるワキへの「ご褒美」ではないことも読みとるべきでしょう。

そして「しばらくここに待て」と念を押したシテは「我は時風秀行ぞとてかき消すやうに失せにけり。かき消すやうに失せにけり」と名を明かして姿を消します。実演上では静かに立ち上がったシテはワキへ向き、「暫く此処に待ち給へ」と二足ツメ、それより静かに右へ廻り、角の方へ行き、「かきけすやうに」から地謡が突然位を速めて謡うときにシテも歩速を速め、角から常座へ行き、ここで小廻り、正面に向いたところで地謡は位を緩めて謡い、シテは正面へヒラキ、静かに右に取って幕へ引きます。地謡が位を進めるところではシテはそのタイミングを計って、角に到着するほんの二~三足だけ前からイキナリ歩速を速めるので、神経を遣って型をしなければなりません。