ぬえの能楽通信blog

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主人公がいない能~『春日龍神』について(その7)

2007-06-18 23:53:01 | 能楽
前シテが中入すると間狂言が登場してワキの所望により語リをします。通常はこの間狂言は社人で、春日大社の縁起を語ります。先日お狂言方と話していたところによると、普通の間狂言と比べても『春日龍神』の間語リは少し長いそうですね。ところがこの曲には「町積」(ちょうづもり)という「替間」があって、この場合は長大な詞章に替わります。間狂言としてはかなり重い習だそうで、狂言大蔵流だけに伝わっています。「町積」については時間が許せば後述したいと思います。

間狂言が舞台から退くと、ワキ・ワキツレ一同が待謡を謡い始めます。「神託まさにあらたなる。神託まさにあらたなる。声のうちより光さし。春日の野山金色の。世界となりて草も木も仏体となるぞ不思議なる。仏体となるぞ不思議なる」そうこうしているうちに虚空に声が響き天空より光が射し込み、春日の野山は金色に輝き出します。眼前の草も木も姿を変じて様々の仏となる。。釈迦の生涯をめぐる壮大なスペクタクルが繰り広げられる、と謡うワキ一同。しかし。。

その待謡に付けて太鼓の打ち出しによって演奏が始まるのは、颯爽として躍動感に溢れた「早笛」です。そして走り出てくる後シテは。。龍神なのでした。『春日龍神』はよく上演される能ですし、また曲名を見てから舞台を見るお客さまにとっては、ここで龍神が登場する事には違和感はないと思いますが、よく考えてみると、前シテの言動や、ワキの待謡からはどこにも龍神が登場する必然性はないのです。この曲はナゾが多い能だと思いますが、わけてもなぜ後シテが龍神である必要があるのか? というのが最大のナゾでしょう。たとえば『大会』のように、荘重な出端で釈迦が後シテとして登場してもおかしくないはずなのに、なぜ龍神?

ともあれ後シテは幕から走り出て橋掛り一之松に止まり、正面に向いてヒラキをするところで「早笛」は止まり、ここで太鼓は大小鼓「刻返」の手を打って地謡が「時に大地震動するは、下界の龍神の参会か」と謡い出します。本来ならば太鼓打上のあと大小鼓は「謡頭」という手を打つべき所なのですが、それだと少々地謡の謡い出しまでに時間が掛かりすぎて空白になってしまうので、「刻返」を打つことに定められているのでしょう。これ以後、龍神の名前の列挙になります。型もまじえて詞章をご紹介すると。。

シテ「すは八大竜王よ。地謡「難陀竜王。シテ「跋難陀竜王(とサシ込)地謡「娑伽羅竜王(とヒラキ)シテ「和修吉竜王(と拍子二つと七つ踏みながら正へノリ)地謡「徳叉迦竜王。シテ「阿那婆達多竜王(とヒラキ)地謡「百千眷属引き連れ引き連れ(と右へ廻り二之松にて幕の方へ振り返り見)平地に波潤を立てて(と左トリ舞台の方へ向き行き)仏の会座に出来して(と舞台常座へ正向き入りヒラキながら下居)御法を聴聞する(面を少し伏せる)シテ「そのほか妙法緊那羅王(と面を上げ正を見)地謡「また持法緊那羅王(と立ち上がり)シテ「楽乾闥婆王(とサシ込)地謡「楽音乾闥婆王(とヒラキ)シテ「婆稚阿修羅王(と七つ拍子踏みながら正へノリ)地謡「羅喉阿修羅王の(とヒラキ)恒沙の眷属引き連れ引き連れ(と横より正へ二つ打ちながら出、先にてヒラキ)これも同じく座列せり(と飛び安座)

あ、また飛び安座だ。(^◇^;)

はじめの方の六人(匹?)は八大龍王の名で、それぞれ難陀(ナンダ)竜王、跋難陀(バツナンダ)竜王、娑伽羅(シャカラ)竜王、和修吉(ワシュキツ)竜王、徳叉迦(トクシャカ)竜王、阿那婆達多(アナバダッタ)竜王と読みます。ここには出てこないあと二匹は「摩那斯(マナシ)竜王」「優鉢羅(ウハツラ)竜王」。釈迦の法華経の会座に列した護法の龍神たちです。じつは後シテは一人で登場したのではなく、これら八大龍王が大勢登場しているのです。後シテはその象徴として一人だけが舞台に現れています。しかも「百千眷属引き連れ引き連れ」となっているから、実際には千匹の龍がここに登場しているのです。そのため後シテの演技には大きさが常に求められ、たとえば前述の「早笛」でも、『玄象』や『張良』などのようなツレ龍神の登場とはもちろん雰囲気が異なりますし、後シテが同じく龍神である『竹生島』などよりも重く、大きく、ゆったり目に演奏する事になっています。

余談になりますが、八大龍王のうち最初に登場する「難陀竜王」と「跋難陀竜王」は兄弟だったりします。(;^_^A