ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

主人公がいない能~『春日龍神』について(その3)

2007-06-12 01:43:08 | 能楽
日本を去り入唐渡天する事が明恵を信頼して大切に思う春日明神の神慮に叶わないだろうと言うシテに対して、ワキはさすがに反駁を試みたのか「げにげにそれはさる事なれども。入唐渡天の志も。仏跡を拝まんためなれば。いかで神慮に背くべき」と答えます。至極 正直で率直な答えで、明恵の決意、というか、熱いハートを感じる言葉です。。が、シテはその言葉を一蹴。(;^_^A そして不思議な議論をワキに持ちかけます。「これまた仰せとも覚えぬものかな。仏在世の時ならばこそ。見聞の益もあるべけれ。 今は春日の御山こそ。すなはち霊鷲山なるべけれ」

一見、奇妙奇天烈な発想に感じられるこの主張ですが、じつは根拠がないわけではなく、またこの曲の根本的なテーマと密接に結びつき、またその前提ともなっている理論だったりします。仏教の神髄に触れたいと発願して唐土から天竺にまで渡ろうとしているワキがこの主張を聞いて納得したのか、はたまた「はあ?」と疑問符が彼の頭の中を駆けめぐったのかは知らず(これについては後述)、シテは畳みかけるようにワキに語りかけます。「そのうえ上人初参の御時。奈良坂のこの手を合はせて礼拝する。人問は申すに及ばず心なき。。」…んん? 今度は「ワキをヨイショ」作戦かしらん。

この問答を受けて地謡が謡うのは、明恵がはじめて春日大社を参詣に訪れたときに起きた奇瑞です。型も合わせて解説すれば以下の通り。

三笠の森の草木の、三笠の森の草木の。風も吹かぬに枝を垂れ。(と正面へ少し出)春日山。野辺に朝立つ鹿までも(とヒラキ)。皆悉く出で向かひ(と右ウケて鹿が集まるのを見)。膝を折り角を傾け(とワキへ向き)。上人を礼拝する(ヒラキながら心持。=鹿が行ったように明恵へ礼拝する心)。かほどの奇特を見ながらも(角へ出、正へ直し)。まことの浄土はいづくぞと。問ふは武蔵野の(左へ廻りワキの前にてトメ)。果てしなの心や(左を引いてワキへ決め)。ただ返すがへす我が頼む。神のまにまに留まりて(常座へ行き)。神慮を崇めおはしませ(ワキへ向きヒラキ)。神慮を崇めおはしませ(舞台の真ん中へ出て座る)。

明恵が春日明神へ参拝したときに、草木までも頭(枝)を垂れ、春日の鹿も申し合わせたかのように集まって前脚を折って跪き、角を傾けて明恵を礼拝した、というのです。すなわち春日明神が彼を信頼して「太郎」と呼んで慈しんだのも、本来明恵自身に仏性・神性が備わっていたためなのです。この能にはハッキリとは書かれていないけれども、春日明神が明恵の渡航を阻止しようとしたのは、自分の補佐役となることを嘱望する才能が海外に流出したり、または長大な旅行によって彼が身体を損ねたり、時間を浪費する事を惜しんだから、という理由だけではなく、自身の仏性に気づかない明恵の心眼を開かせるためだったのではないか、と ぬえは考えています。ちなみに春日明神が明恵を「太郎」、解脱上人を「次郎」と呼んでいますが、これは「太郎」=「長男」、「次郎」=「次男」という意味でしょう。二人の求道者を神は我が子のように思っていたのです。

地謡が謡うこの「上歌」は、前半がこのような明恵自身も体験した奇瑞を描き、後半からはシテの神職による明恵への説得です。当然地謡も前後で印象が変わるように謡うのですが、割と上演頻度は高い能だと思うのに、ここは謡い方、とくにその位取りにいくつかのパターンがあるように思います。緩~急と次第にテンポを上げてゆくとか、「礼拝する」を重く見てその少し前から静めてゆくとか。。ぬえは植物である草木がこうべを垂れる様と、動物である鹿との動作の違いがこの地謡に表されていると思うし、シテの型は鹿の動作に付随するように付けられているので荘重な出だしから次第に盛り上がる方が良いと考えていますが。。いずれにせよ「かほどの奇特を見ながらも」からはテンポを上げて、シテがワキを諫める、という風情となります。