やはり『井筒』には「待つ女」というイメージが濃厚に漂っています。「待つ」という事は純粋な感情であるけれども、無邪気、とはちょっと違う。もっと陰影の濃い感情だと思います。小面という選択は、そこを見失いやすくなる傾きを持つんじゃないか、と ぬえは考えてしまって。ただ ぬえが師家所蔵の憧れの面は、限りなく小面に近い面であることもまた事実なんですが。。このへん、とっても微妙で説明が難しいのですが、ぬえが使いたいのは「小面」に近くはあってほしいけれども、「小面」そのものじゃ困る。。っていうような。。わかります? 結局、若女にしておくのが一番良いのかなあ、とも思っていますけれど。。
また『井筒』に「増」を使う方もおられますね。おそらく観世寿夫師が『野宮』あたりで「増」を使う試みをなさったのが三番目物に「増」が使われるようになった嚆矢だと思いますが、『野宮』ではよいかも知れないけれど、『井筒』ではちょっと怜悧すぎるような気もしますが。。「小面」「若女」「増」。。そして「深井」まで。これほど面の選択肢の広い曲もちょっと珍しいのではないかと思います。
地謡の上歌が終わるとワキがさらに問いかけをします。
ワキ「なほなほ業平、紀有常の息女の御事。委しく御物語り候へ
ここで地謡が「クリ」を謡いますが、本三番目と脇能の時に限って、囃子方が「打掛け」という手を打つまで地謡は待って、それから謡い始めます。三番目と脇能がほかの能よりも尊重されているため、クリの前に短いプロローグの演奏がされるのですね。実際には三番目では二クサリ(二小節)の「打掛け」を聞き、脇能では三クサリとなっていますから、神様が主人公の脇能の方がさらに荘重な感じにはなります。また三番目や脇能以外の曲でも、小書がついた場合に「打掛け」を聞いてから地謡がクリを謡う場合もあります。
「打掛け」の間にシテは大小前に行き、正面に向いて中ほどまで出て着座します。型としてはここから中入までほとんど動作はなく、要所要所でワキと向き合う程度。お客さまにとっては最も退屈な場面かも知れませんが、能が持つ「語リ」の要素がここで存分に発揮されるので、文意を活かして謡う地謡を聞いて頂きたいところです。
地謡「昔在原の中将。年経て此処に石の上。古りにし里も花の春。月の秋とて住み給ひしに。
シテ「その頃は紀有常が娘と契り。妹背の心浅からざりしに
地謡「また河内の国高安の里に。知る人ありて二道に。忍びて通ひ給ひしに シテ「風ふけば沖つ龍田山
地謡「夜半には君がひとり行くらんとおぼつなみの夜の道。行方を思ふ心遂げてよその契りはかれがれなり
シテ「げに情け知る。うたかたの 地謡「あはれを抒べしも理なり
「昔この国に。住む人のありけるが。宿を並べて門の前。井筒に寄りてうなゐ子の。友達かたらひて。互ひに 影を水鏡。面をならべ袖をかけ。心の水も底ひなく。うつる月日も重なりて。おとなしく恥ぢがはしく。互ひに今はなりにけり。その後かのまめ男。言葉の露の玉章の。心の花も色添ひて
シテ「筒井筒。井筒にかけしまろがたけ 地謡「生ひしにけらしな。妹見ざる間にと詠みて贈りける程に。その時女も比べ来し振分け髪も肩過ぎぬ。君ならずして。誰かあぐべきと互ひに詠みし故なれや。筒井筒の女とも。聞こえしは有常が。娘の古き名なるべし
→「第三回 ぬえの会」のご案内
また『井筒』に「増」を使う方もおられますね。おそらく観世寿夫師が『野宮』あたりで「増」を使う試みをなさったのが三番目物に「増」が使われるようになった嚆矢だと思いますが、『野宮』ではよいかも知れないけれど、『井筒』ではちょっと怜悧すぎるような気もしますが。。「小面」「若女」「増」。。そして「深井」まで。これほど面の選択肢の広い曲もちょっと珍しいのではないかと思います。
地謡の上歌が終わるとワキがさらに問いかけをします。
ワキ「なほなほ業平、紀有常の息女の御事。委しく御物語り候へ
ここで地謡が「クリ」を謡いますが、本三番目と脇能の時に限って、囃子方が「打掛け」という手を打つまで地謡は待って、それから謡い始めます。三番目と脇能がほかの能よりも尊重されているため、クリの前に短いプロローグの演奏がされるのですね。実際には三番目では二クサリ(二小節)の「打掛け」を聞き、脇能では三クサリとなっていますから、神様が主人公の脇能の方がさらに荘重な感じにはなります。また三番目や脇能以外の曲でも、小書がついた場合に「打掛け」を聞いてから地謡がクリを謡う場合もあります。
「打掛け」の間にシテは大小前に行き、正面に向いて中ほどまで出て着座します。型としてはここから中入までほとんど動作はなく、要所要所でワキと向き合う程度。お客さまにとっては最も退屈な場面かも知れませんが、能が持つ「語リ」の要素がここで存分に発揮されるので、文意を活かして謡う地謡を聞いて頂きたいところです。
地謡「昔在原の中将。年経て此処に石の上。古りにし里も花の春。月の秋とて住み給ひしに。
シテ「その頃は紀有常が娘と契り。妹背の心浅からざりしに
地謡「また河内の国高安の里に。知る人ありて二道に。忍びて通ひ給ひしに シテ「風ふけば沖つ龍田山
地謡「夜半には君がひとり行くらんとおぼつなみの夜の道。行方を思ふ心遂げてよその契りはかれがれなり
シテ「げに情け知る。うたかたの 地謡「あはれを抒べしも理なり
「昔この国に。住む人のありけるが。宿を並べて門の前。井筒に寄りてうなゐ子の。友達かたらひて。互ひに 影を水鏡。面をならべ袖をかけ。心の水も底ひなく。うつる月日も重なりて。おとなしく恥ぢがはしく。互ひに今はなりにけり。その後かのまめ男。言葉の露の玉章の。心の花も色添ひて
シテ「筒井筒。井筒にかけしまろがたけ 地謡「生ひしにけらしな。妹見ざる間にと詠みて贈りける程に。その時女も比べ来し振分け髪も肩過ぎぬ。君ならずして。誰かあぐべきと互ひに詠みし故なれや。筒井筒の女とも。聞こえしは有常が。娘の古き名なるべし
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