ぬえの能楽通信blog

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『井筒』~その美しさの後ろに(その19)

2007-09-07 00:24:33 | 能楽
間狂言の「語リ」によって、さきほどの女が紀有常の娘の霊であることを悟ったワキは、在原寺に一夜を過ごして重ねての奇特を待ちます。

ワキ「更け行くや。在原寺の夜の月。在原寺の夜の月。昔を返す衣手に。夢待ち添へて仮枕。苔の莚に。臥しにけり 苔のむしろに臥しにけり

この謡の直後に登場音楽が演奏されて後シテが現れるので、後シテを待ち受ける謡、という意味で「待謡」と言われるものです。でもこのワキ、読経をしていませんね。

これは ぬえの師家の跡取りの梅若紀長氏が今年『融』を上演するときに気がついたらしく、師家の機関誌『橘香』に寄稿していたことなのですが、これまた ぬえも気がつかない事でした。ワキが「読経」をしない待謡。なるほど『融』はまさにその通りなのですが、そしてまた『井筒』も同じ。どうやらワキ僧が読経をしない「待謡」を持つ一群の曲があるらしいのです。

ワキが「読経」をしない、というのはシテの跡を弔ってあげない、というよりも、むしろ前シテの望みがそこになかったから、ストーリーの流れとしてワキは後シテの出現を純粋に待ち受ける、ということになっているのでしょう。なるほど、そう考えると「読経」をしないワキがここで何を言っているのか、ここにも意味があるようです。『融』では「なほも奇特を見るやとて。夢待ち顔の旅寝かな」。そして『井筒』では「夢待ち添へて仮枕。苔の莚に臥しにけり」。。どちらのワキも待っているのは「夢」なのですね。他の例もあるとは思いますが、今回は未調査ですが、でも、少なくともこの「夢を待つ」というワキの行為が、『井筒』のシテの性格を物語っているように思います。

ともあれ「待謡」の直後に囃子方が「一声(いっせい)」という登場音楽を演奏して、いよいよ後シテが登場することになります。前シテの登場音楽の一つ「次第」では、登場人物が一人のときはその役は舞台に入って(あるいは橋掛り一之松で)斜め後ろを向いて謡い出す約束事があることは以前に書きました。「一声」にも、それとはちょっと違った約束事があります。

それは「一声」のときは(と、もう一つ「出端」という登場音楽のときは)、登場する役者が幕が上がるとすぐに「右ウケ」といって一度右に向いて(つまり客席の方へ斜めに向いて)、それから改めて橋掛りへ向き直して、橋掛りへ歩み出るのです。これも理由はハッキリしない作法ですが、面白いことにはこの作法、例外があるのです。

その役が舟や車などの乗り物に乗る、という場面であれば、この「右ウケ」は行わないのです。『小塩』や『江口』など、作物の車や舟が出されるときはもちろんのこと、『鵺』や『玉鬘』など、作物は出さないけれど、シテが棹を持つことによって、舟に乗って登場した事を表す場合でさえ「右ウケ」はありません。「右ウケ」があるのは、あくまで「歩いて」または「天から下って」登場するなど、自分の体を使って登場した場合に限られるのです。

ところが、これまた面白いことに、師家の型附では『井筒』の後シテの登場の場面は「物着の心にて右ウケはナシ」と書いてあります。「物着」とは前シテが中入りせずに舞台の後方、後見座などで装束を着替えて後シテ、というか別人格の役に変身することで、「その場で」「いつの間にか」変身て本性を現した、という演出です。『井筒』には小書として「物着」になる演出が伝えられています。

いつの間にか変身したのならば、間狂言とワキが問答するのは矛盾するのではありますが、つまり「物着」の演出が『井筒』本来の姿で、中入する場合でもその心で勤めよ、その心を持って舞台に出るために、あえて「右ウケ」はするな、という意味なのでしょう。もっとも型附には「右ウケをしてもよい」というように並記されていて、実演上「物着」でない場合は、矛盾を生じた気持ちで舞台に出るのもまた演者の気持ちが整わないですから、「あえて物着の心に拘泥しないやり方で演じたい場合は、その選択も認める」という事が書かれているのでしょう。

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