ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『井筒』~その美しさの後ろに(その18)

2007-09-06 01:38:08 | 能楽
「語り部」としての前シテ。それを無紅で演じることについては、可能性は可能性として今後の課題と致します。今回の ぬえは初役でもありますし、常の通り紅入の若い女の姿で上演しますので。。

しかし、ぬえはこの前シテが発する言葉には興味が尽きないです。塚に手向けをする姿をワキに不審されて答える言葉が「わらはも委しくは知らず候へども。花水を手向け御跡を弔ひ参らせ候」。。「よくわからない」と言うのです。ワキ僧の不審は解けず、業平にゆかりの者かと問われても「ましてや今は遠き世に。 故も所縁もあるべからず」と完全に否定。しかし地謡の上歌となって「これこそそれよ亡き跡」と、前言を翻すかのような口ぶりで旧跡を教え、その跡を懐かしむかのような風情を漂わせたかと思うと「まことなるかな古への。跡なつかしき気色かな」。。彼女は「古へ」の事実を知っているのでしょうか? 知らないのでしょうか。。?

ワキの問いをはぐらかすような前シテの言葉は、ただ夢の中に漂って、自分が存在する意義さえ見失っているかのよう。ところが、彼女の言葉は次第に現実味を帯びてくるのです。それは、クリの前のワキの問い「なほなほ業平、紀有常の息女の御事。委しく御物語り候へ」をキッカケにしています。

すなわち、この前シテはワキ僧が自分を弔ってくれる事を望んでこの場に現れたのではなく、業平の塚を守り、おそらくはその再生を願って「待っている」のでしょう。そんな彼女にとってワキ僧の出現は、神聖な再生の祈りの儀式としての塚への回向という、彼女の無限連鎖的な「存在意義」としての作業を遂行する上では邪魔な事件であったはず。それだから彼女はワキ僧に対して好意的とは言いにくい問答を交わしているのでしょう。ところが、僧に問われるままに語るシテは、次第に自分自身が過去の思い出の中に還ってしまう。。この能はそういう物語なのではないか、と ぬえは読みました。ワキの問いかけが引き金となって、過去に立ち戻ってしまうシテ。サシ~クセで『伊勢物語』と逆の順序で物語が展開するのも、次第に過去に逆行してゆくシテの姿です。立ち戻ったところで現実の時間は逆行はせず、幸せな時間は取り戻せず、苦しむばかりだというのに。。あ~あ、ワキも罪作りな。。

。。と、ここまで考えたところで、ぬえは「どこかで聞いたような物語の展開だな。。」と思い始めて、そして気がついた。これは『松風』とあまりに似たストーリーではなかろうか。永遠に繰り返される作業に埋没している「待つ女」。ワキの出現とその拒絶。問われるままに答えるうちに自分の過去に立ち戻ってしまうシテ。そのあまりに恋する男の装束を身にまとって懐旧の舞を見せる。。同じだ。。ぬえは世阿弥自身が否定しているけれども『松風』は世阿弥作に間違いないと確信していますが、この2曲がこれほど似通った展開を持っている事からもその可能性の補強になるかもしれません。それにしても、これほど似たストーリーで、これほど違う性格のシテが描き分けられるなんて。。作者が同じ世阿弥であるのが事実であるとすれば、これはまた、恐ろしいほどの才能と言うべきだと思います。

クセが終わるとシテは自分の本性をワキに告げます。

地謡「げにや古りにし物語。聞けば妙なる有様の。あやしや名のりおはしませ
シテ「真は我は恋衣。紀有常が娘とも。いさ白波の龍田山、夜半に紛れて来りたり
地謡「不思議やさては龍田山。色にぞ出づるもみぢ葉の シテ「紀有常が娘とも 地謡「または井筒の女とも
シテ「恥かしながら我なりと 地謡「言ふや注連縄の長き夜を。契りし年は筒井筒、井筒の陰に隠れけり 井筒の陰に隠れけり  〈中入〉

ワキに向かって「恥かしながら我なりと」と名乗ったシテは正面に向いてから立ち上がり、常座に行くと正面を向き、ヒラキ、または三足ツメてタラタラと下がり、面を伏せて消え失せた体となり、最後の「井筒の陰に隠れけり」と右へトリ、橋掛りへ向かいます。あと静かに歩んで幕に入るのですが、今回のお笛の一噌流では「送り笛」というアシライ笛を、シテが橋掛りを歩む間しみじみと聞かせてくれます。今回 ぬえが出演をお願いした一噌仙幸先生は、それはそれは美しい調子のお笛を聞かせてくださいます。ここはぜひお笛の演奏に耳を傾けて頂きたいと思います。聞いている ぬえも泣きそうになるもんなあ。。

そしてシテが中入すると、間狂言の里人が登場し、ワキに問われて業平と紀有常の娘との仲むつまじい昔物語を語ります。今回の間狂言も、あえて ぬえが大好きな三宅右近先生にお願いしました。三宅先生は「僕、井筒の語リって好きなんだよ」と言ってくださり、喜んでお引き受けくださいました。考えてみれば今回の「ぬえの会」は囃子方に ぬえが尊敬する大鼓の安福建雄先生(人間国宝)、小鼓にはいつも ぬえと気さくにお付き合いしてくださるけれども、関西では重鎮の域に達しられた久田舜一郎さん、そしてお笛の一噌仙幸先生、おワキには明晰で美声の森常好さん、さらに地頭には梅若会のエース、梅若晋矢さんと、それぞれ最強の布陣でお手伝い頂けることとなりました。あ~~ぬえ、いまから緊張しっぱなしなんですけど。。

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