ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『井筒』~その美しさの後ろに(その20)

2007-09-08 00:34:23 | 能楽
舞台常座に登場した後シテは拍子に合わないサシと呼ばれる謡を謡います。

シテ「徒なりと名にこそ立てれ桜花。年に稀なる人も待ちけり。かやうに詠みしも我なれば。人待つ女とも云はれしなり。我筒井筒の昔より。真弓槻弓年を経て。今は亡き世に業平の。形見の直衣。身に触れて。恥かしや。昔男に移り舞
地謡「雪を廻らす。花の袖  〈序ノ舞〉

後シテの扮装は 面=若女または深井、小面(前シテと同じ面を掛けます)、鬘、胴箔紅入鬘帯、初冠(巻纓、追懸付)、襟=白二枚、摺箔、紅入縫箔腰巻 胴箔紅入腰帯、長絹、鬘扇 という出で立ちです。いかにも華やかな姿ですが、じつはこれ、男装なんですよね。と言っても本文には「業平の形見の直衣、身に触れて」とか「昔男の冠直衣は女とも見えず男なりけり」とあるにも関わらず、実際には直衣は着ずに、紫地の長絹を着ているのですが。男装をする曲というのは『井筒』のほかにも『杜若』や『卒都婆小町』、『鸚鵡小町』など割と多くあって、ときには本当に直衣をまとって演じたシテもあるようですが、姿としてはやはりやや奇怪で、長絹を直衣に見立てて、男性の用である初冠だけを使う現行のやり方の方が優れていると思います。なお初冠の纓には巻纓(けんえい)、垂纓(すいえい)、立纓(りゅうえい)の違いが有職にはあって、巻纓は武官、垂纓は文官、そして立纓は江戸期の天皇専用です。また武官は巻纓のほかに両頬に「追懸(おいかけ)」という馬の尾でできた扇状の飾りを付けます。業平は武官だったので、巻纓と追懸をつけた初冠をかぶるのです。

今回使う面は前後とも同じ「若女」ですが、ぬえはずっと師家所蔵の名物面の「浅黄」という面を拝借したかったのです。とても可愛らしい、う~ん言葉は悪いかもしれないがロリコン顔の面で、でも小面のようにハッキリした顔立ちではない、どこか茫洋とした面立ちの面です。拝借できるか、確率は五分五分、というところだったのですが、今日師匠に伺ったところ、「ああ。。あれはダメだ。僕が12月に使う予定なんだよ」というお返事でした。。そうか!12月の研能会の月例会で師匠が『松風』を演じられる事を忘れてた。。師匠は『松風』で好んでこの「浅黄」を使われるのです。

ところが、師匠は「それなら、この面はどうだ?」と装束蔵から出してくださったのは、「顔長(かおなが)」という不思議な銘を持つ、出目友水作の「若女」でした。ぬえは「これだ!」と思いましたね。これまた「浅黄」によく似た面で、また茫洋さが「浅黄」よりもさらに。。『井筒』には良いでしょう。今回はこの「顔長」を使います。

『松風』と同じストーリーを持つ『井筒』のシテ。ワキさえ彼女に問いかけをしなかったら、彼女は「待つ」という行為を永遠に続ける事で、いつか再び訪れる幸せを信じることができた。彼女にはかなく過ぎ去った昔をリアルに思い出させてしまうのはワキの僧なのですよね。過去と向き合う事を余儀なくされたシテは、男の形見の衣裳を身にまとうことで男と一体化しようとする。。この2曲はどちらもそんなストーリーなのだと ぬえは捉えているのですが、『松風』のシテのように、狂う事で(一時的にしか過ぎないにせよ)、男との一体感を、幸福を覚えることさえ、『井筒』のシテにはできないのです。「形見の直衣 身に触れて。恥ずかしや、昔男に移り舞」。。『松風』のシテのような激情はここにはなく、自分は形見の直衣を着ているだけ、男は再生していない事を、彼女は冷静に見つめます。そして男の幻影に自分を重ねる移り舞を舞うことを、彼女はこう言うのです「恥ずかしや。。」。。。ああ。いっそ狂ってしまった方がどれだけラクか。でも彼女には狂う勇気さえない。。この子は。。弱い子なんだな。。と ぬえは思います。これが「ぬえが使いたいのは「小面」に近くはあってほしいけれども、「小面」そのものじゃ困る。」と、この『井筒』の考察の16回目に ぬえが書いた理由なのです。「浅黄」と「顔長」はまさにそういう面だと。。ぬえは信じるのですが。。

さて今回使う装束はほぼすべて ぬえ所蔵のもので、前シテの唐織は紅白段色紙短冊文様の、これは国立博物館をはじめ、能楽師の家ならばどこでも所蔵している、どちらかと言えば文様としては平凡な唐織ですが「色紙短冊文様」が『井筒』の歌の贈答に通じるので選びました。これは「第一回 ぬえの会」で上演した『道成寺』のために新調したものです。その下に着る摺箔は、先日の鎌倉・建長寺での『隅田川』のために新調した、香色地金銀露芝文様の摺箔。そして後シテの下半身に着る腰巻は、ぬえが内弟子から独立するときに記念に作った紅白段金銀霞雪輪花包文様の縫箔です。これは古い装束の写真集から2領の縫箔を選んで、その文様を合体させて新しい装束を作り出した、ぬえのオリジナルデザインの装束です。ぬえはこの縫箔が大好きで、鬘物の能のシテの役ではほとんどこの縫箔ばかり着ています。長絹は、今回の「ぬえの会」のチラシ番組の写真でシテが着ている『井筒』専用の紫地の業平菱文様の長絹を師家から拝借して使うかどうか迷ったのですが、あえてそこには拘泥せず、ぬえ所蔵の古い紫地花籠露芝文様の長絹を使うことにしました。この長絹はとあるところから譲って頂いたものです。結局、このブログのタイトル画像にある、「第二回 ぬえの会」の時の『松風』とほとんど同じ姿で、同じ長絹、同じ縫箔を着ることになるのですが、まあ、写真を比べれば同じになってしまうけれども、舞台の絵づらとしては最高の取り合わせではないかと思っています。

型としては「かやうに詠みしも我なれば」とワキへ一度向くほかは、この後シテは一切ワキに語りかけませんね。そして「形見の直衣」と左袖を見、このときお笛は「呂ノ吹上」というとっても印象的な譜を吹いてくださいます。「恥ずかしや昔男に移り舞」とヒラキをし(ナシにも)、地謡の「雪を廻らす舞の袖」と後ろを向いて一旦クツロギ、笛が吹き出す頃に正面に向き直り、<序之舞>となります。

約10分かかる長い「序之舞」が終わると、ようやくエンディングです。

シテ「此処に来て。昔ぞ返すありはらの 地謡「寺井に澄める。月ぞさやけき。月ぞさやけき シテ「月やあらぬ。春や昔と詠めしも。何時の頃ぞや。筒井筒 地謡「つゝゐづつ。井筒にかけし シテ「まろがたけ 地謡「生ひしにけらしな シテ「老いにけるぞや 地謡「さながら見みえし昔男の。冠直衣は女とも見えず。男なりけり。業平の面影

「筒井筒、井筒にかけし」と大小前から正面に出ながら左袖を掛けるのは、井戸に袖を掛けて遊んだ二人のイメージだと ぬえは解釈しています。「生ひにけらしな」と地謡が謡ったところで、シテが「老いにけるぞや」と言うのは、ものすごい表現ですね。ただ、ぬえは「老い」ではないと思っています。やはりここは「生ひにけるぞや」と読んで、大人になっただけではなく、その時間さえもが過ぎ去った、と捉えておきたいです。「昔男の冠直衣」と角に出て扇をかざして頭の上の初冠を示し、左に廻って大小前に到り、「男なりけり、業平の面影」と井戸に走り寄るようにして薄を分け、井戸の中を深く見込みます。『井筒』という曲のクライマックスでしょう。

この際にシテから見て右側に付けた薄を扇で分けるか、それとも左袖を返して左側の薄を分けるか、という選択がシテに任されていて、こういう極端な型の違いが演者の選択に任されているのは かなり珍しいというべきでしょう。ぬえは今回は扇で薄を分ける事にしました。そそて。。ここで囃子と地謡がピタリと止み、静寂となります。よくできた演出だなあ。。

シテ「見ればなつかしや 地謡「我ながら懐かしや。亡婦魄霊の姿はしぼめる花の。色なうて匂ほひ。残りて 在原の寺の鐘もほのぼのと。明くれば古寺の松風や芭蕉葉の夢も。破れて覚めにけり 夢は破れ明けにけり。

「見れば懐かしや」と井戸の中を見込んでいたシテは「我ながら懐かしや」と少し下がって。。そしてシオリをします。三番目物の能でシオリがこの一度きり、というのも珍しいですが、どうも観世流の演者でこのシオリの型をされたのを ぬえは見たことがない。。あるいは ぬえの師家独特の型なのか。。でも、ぬえの師匠もよくこのシオリの型を省略される事があります。シオリというのは時間が掛かる型なので、次の型が忙しくなってしまうから、どの家にもある型だけれど、誰もやらないのかなあ。ぬえは初役なので、このシオリは省かずに演じることにしました。

「しぼめる花の色なうて匂ひ残りて」のところは常座のあたりで顔の前で両手を組み、扇で顔を隠すようにして下居して、花がしおれるような風情を狙います。ぬえの師家では、ここで右足の爪先を伸ばしてしまって、本当に小さくなるように演じる事になっています。また替エとして左袖を巻き上げてから両手を組む型もあって、ぬえは今回この型で演じてみる事にしました。ちょっと男っぽい型で、中性的な姿の『井筒』のシテには似合うと思います。

「夢も破れて」と常座でノリ込み拍子を踏み(これがまた良く効く拍子で。)、正面にヒラキをしてから定型の通り右ウケして左袖を返してトメ拍子を踏み、『井筒』の能が終わります。上演時間は平均1時間50分ほどとなっていますが、うまく謡を処理して、ダラダラとしないように勤めたいと思っています。。

なんだか最後は駆け足になってしまいましたが、これにて『井筒』の解説を一旦 了とさせて頂きます。このシテの性格について ぬえはさらに思うところがあるのですが、それを書く時間が許さないことと、上演前に書くことは「そのように見てください」とお客さまに無言の先入観を抱かせることになってしまいますので。。これはまた次の機会とさせて頂きたく存じます。

ぬえにとって『井筒』は背伸びに過ぎる能かも知れませんが、精一杯勤めたいと存じます。ご来場頂ける皆様にはこの場で改めまして御礼申し上げ、当日のご来場を心よりお待ち申し上げます。m(__)m

「第三回 ぬえの会」のご案内