クリ~クセ、とくにサシとクセの文章は『伊勢物語』の二十三段そのままの物語ですが、ここで注意しなければならないのは、同じ『伊勢』二十三段の二つの挿話~「筒井筒」の話と「風吹けば」の話~が、この能では順序が逆になっている点でしょう。井戸の筒で背比べをした幼い恋心の物語と、晴れて夫婦となったあとに、夫の異心が原因で夫婦の仲が崩壊の危機を迎えたとき、夫を「待つ」女の心によって夫が改心し、危機を乗り越えた、というお話。『伊勢』が時系列で二人の関係を描くのに対して、シテは現在の時点から過去に回想を巡らしているのです。
ぬえはね、最初ワキに問われて答えるシテの言葉に、とってもクールな印象を受けました。というか、この能全体を貫いて、シテの態度はとっても「孤高」。これはまだ ぬえが学生時代にはじめて『井筒』の本文を読んだときからずっと抱いていた印象で、これはなぜかな? とずっと考えてはいたのです。
今回、『井筒』の稽古を重ねているうちに。。とうとう そういう印象をこのシテから受ける理由を発見しました。
この曲のシテには、感情を表すセリフがほとんど無いのです。感嘆詞の中でも感情が露骨に表れる「あら」(あら恋しや、など)はまったく現れないし、わずかに感嘆詞と言える「ぞ」はキリの「何時の頃ぞや」と「老いにけるぞや」程度。感情が表れる言葉としてはロンギの中の「恥ずかしながら我なりと」と、序之舞の前の「恥ずかしや、昔男に移り舞」の2箇所の「恥ずかし」くらいなものなのです。それだけではなく、ワキとの問答の中でも丁寧語である「候」はわずかに「わらはも委しくは知らず候へども。花水を手向け御跡を弔ひ参らせ候」の2度だけ。あとは淡々と過去の物語や目の前の情景を描写するばかりのシテ。これが『井筒』の前シテを「孤高」に感じさせる理由だったのです。これは気がつかなかった。。そして。。感情の爆発たるセリフがたった1度だけあるわけです。
シテ「見ればなつかしや 地謡「我ながら懐かしや
感情の爆発と言ってもこの程度。やっぱりこのシテ。。老成しちゃっている、というか、「待つ」こと自体が生きる意味になってしまっているというか。。でもこの能の中では彼女はすでに死んじゃっているんですけどね。。沈鬱。懐旧。孤独。彼女にはそんな言葉が似合う。。というか、そんな言葉でしか彼女を表現できない、というところが何とも悲しい。
こんな前シテの姿からも、ぬえは無紅での上演もあり得るかな、と思います。ところが。。
以前、ぬえは梅若六郎師が『井筒』を上演されたのを拝見しに出かけて、驚くべき演出を見ました。クリで大小前から正中に出た前シテが、そこで床几に掛かったのです。床几に腰掛ける。。まあ、このクリ~中入まではシテも座りっぱなしで足がつらい場面でもありますので、体調によって床几に掛けられたのかもしれませんが、床几の演出をされた理由がそれだけではないことは明白でした。なんとシテはクセの冒頭「昔この国に。住む人のありけるが。。」と独吟されたのです。独吟はほんの2~3句だけだったかと記憶していますが、ぬえは水を浴びせられたように凍りつきました。
「あ。。『語り部』か。。!!」
前シテを「語り部」と捉える解釈。。それは衝撃的でした。語り部には若い女よりも老婆が似合う。。この時は常の通り紅入の若い女の姿で演じられましたが、六郎師は先日テレビで放映された「能狂言入門」でも『井筒』の後シテを「姥」の面で演じる可能性について言及されておられましたから、師の中では、この ぬえが拝見した公演が一種の実験であったのは間違いないでしょう。「姥」の面の是非、それを後シテで使う是非は ぬえにはよくわかりませんが、前シテを無紅の装束で「深井」で演じる可能性は、たしかにあると確信しました。
→「第三回 ぬえの会」のご案内
ぬえはね、最初ワキに問われて答えるシテの言葉に、とってもクールな印象を受けました。というか、この能全体を貫いて、シテの態度はとっても「孤高」。これはまだ ぬえが学生時代にはじめて『井筒』の本文を読んだときからずっと抱いていた印象で、これはなぜかな? とずっと考えてはいたのです。
今回、『井筒』の稽古を重ねているうちに。。とうとう そういう印象をこのシテから受ける理由を発見しました。
この曲のシテには、感情を表すセリフがほとんど無いのです。感嘆詞の中でも感情が露骨に表れる「あら」(あら恋しや、など)はまったく現れないし、わずかに感嘆詞と言える「ぞ」はキリの「何時の頃ぞや」と「老いにけるぞや」程度。感情が表れる言葉としてはロンギの中の「恥ずかしながら我なりと」と、序之舞の前の「恥ずかしや、昔男に移り舞」の2箇所の「恥ずかし」くらいなものなのです。それだけではなく、ワキとの問答の中でも丁寧語である「候」はわずかに「わらはも委しくは知らず候へども。花水を手向け御跡を弔ひ参らせ候」の2度だけ。あとは淡々と過去の物語や目の前の情景を描写するばかりのシテ。これが『井筒』の前シテを「孤高」に感じさせる理由だったのです。これは気がつかなかった。。そして。。感情の爆発たるセリフがたった1度だけあるわけです。
シテ「見ればなつかしや 地謡「我ながら懐かしや
感情の爆発と言ってもこの程度。やっぱりこのシテ。。老成しちゃっている、というか、「待つ」こと自体が生きる意味になってしまっているというか。。でもこの能の中では彼女はすでに死んじゃっているんですけどね。。沈鬱。懐旧。孤独。彼女にはそんな言葉が似合う。。というか、そんな言葉でしか彼女を表現できない、というところが何とも悲しい。
こんな前シテの姿からも、ぬえは無紅での上演もあり得るかな、と思います。ところが。。
以前、ぬえは梅若六郎師が『井筒』を上演されたのを拝見しに出かけて、驚くべき演出を見ました。クリで大小前から正中に出た前シテが、そこで床几に掛かったのです。床几に腰掛ける。。まあ、このクリ~中入まではシテも座りっぱなしで足がつらい場面でもありますので、体調によって床几に掛けられたのかもしれませんが、床几の演出をされた理由がそれだけではないことは明白でした。なんとシテはクセの冒頭「昔この国に。住む人のありけるが。。」と独吟されたのです。独吟はほんの2~3句だけだったかと記憶していますが、ぬえは水を浴びせられたように凍りつきました。
「あ。。『語り部』か。。!!」
前シテを「語り部」と捉える解釈。。それは衝撃的でした。語り部には若い女よりも老婆が似合う。。この時は常の通り紅入の若い女の姿で演じられましたが、六郎師は先日テレビで放映された「能狂言入門」でも『井筒』の後シテを「姥」の面で演じる可能性について言及されておられましたから、師の中では、この ぬえが拝見した公演が一種の実験であったのは間違いないでしょう。「姥」の面の是非、それを後シテで使う是非は ぬえにはよくわかりませんが、前シテを無紅の装束で「深井」で演じる可能性は、たしかにあると確信しました。
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