ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

劇団のお芝居を拝見してきました(続)

2008-04-15 01:45:54 | 能楽
さて劇場に入ると、なにやら天井には配管がむき出しの、なるほど「ファクトリー」という名の劇場らしい。なぜか視界がかすんでいて、うっすらとスモークがたいてあるのかしらん。そして会場にはずうっとケルト音楽が流されているのでした。ん~~能楽堂ではあり得ない光景だな。。

でもここで ぬえが驚いたのは、すでに座席に置かれていたチラシ類の数の多さ。今回の公演の感想を書くアンケートなどもありましたが、ほとんどは他の劇団の公演のチラシで その数30枚以上!! 自分たちの劇団の宣伝をするならわかるけれど、なぜ他の劇団の公演のチラシなんだろう。。あるいは、それぞれの劇団の公演の際に自分たちの公演のチラシを配ってもらう代わりに、相手の劇団のチラシをこちらの公演の際に配る、というそういうシステムが構築されているんだろうか。。

それにしても この公演ひとつに30以上の別の劇団のチラシがあるとは何ともひしめき合っている感じです。。やっぱり劇団の数が多すぎて公演を成立させるのはお互いに大変、というような事もあるのだろうか?

しかし配られたチラシはデザインも凝ったものが多くて、結構お金も手間も掛かっていると思います。宣伝費にちゃんとお金を掛けられるのだから、劇団が多すぎて公演が過密状態、お客さまが分散してしまって公演が成り立たない、というワケではないのでしょう。ということは、それほど現代演劇を支えるお客さまの裾野が広い、ということなのですね。なるほど。。

考えてみれば、能のチラシのデザインも、この15年ほどで劇的に変わったと思います。かつては伝統的なレイアウトで配された文字しかなかった「番組」が、演能写真を載せてビジュアルに訴えかけるようになったり、さらには能の作品のストーリーとはまったく関係なく、作品の雰囲気をイメージさせるための風景写真やイラストなどが表面を飾るような「チラシ」になってきたのは、おそらく こういう現代演劇の劇団の宣伝方法を知った能楽師がそれを見習い、だんだんと広まったのではないかしら。

ぬえは思うのですが、今回の公演をご覧になるために集まったお客さまは、演劇としての能に対しても興味がおありになると思います。それでも能楽堂にこれら若いお客さまが多数集まるようなことがないのは、やっぱりこれは、能の公演が宣伝不足なのが原因なのではないでしょうか。この公演の際に配られた30枚超のチラシの中にも、もちろん能の公演の宣伝チラシはありませんでした。この日に集ったお客さまにとって能は、あいかわらず「能ってどこでやってるの?」という状態のままになってしまったわけで、これはもったいないように思います。。

ぬえは広い意味で「能は演劇の一種」と捉えているけれど、そうは思っていない能楽師も多いでしょう。かつて ぬえは同年輩の能楽師の前で能を演劇と捉えて話をしていたら、その彼は「能は演劇じゃないよ!」と、突然叫びだしたことがありました。「え。。?じゃ、何なの?」と聞いたところ。。「能は。。能だよ!」というお答え。。うん、気持ちはよくわかります。能を「演劇」と言ったとたんに、能が守ってきた「一番大切ななにか」が一瞬にして壊れてしまうような気は、ぬえもする。もしも能が演劇と自己定義して現代劇と交流を広めていったとしても、もちろん白塗りのアングラ劇と共演する事などは想像できない。

ただ、だからと言って能が「自分は“能”という孤高の存在」と殻に閉じこもってしまったのでは、それは破滅の道でしかないでしょう。現代劇や他のパフォーミングアートとも交流を持って、なおかつ能が「演劇になりすぎず」「能であり続ける」。。芯というかコアとなる部分を自己チェックする機能があれば、発展性も広がるのではないかしらん。そのチェック機能は、歴史的にもおのずから家元制度の中にあるわけで、ややもすれば封建的とか時代遅れのように言われる家元制度ですが、ぬえはこれが無かったら伝統の継承はあり得ない、文化の継承にはなくてはならない制度だと思っていて、それは現代でも十分に。。いや、むしろ 様々なパフォーミングアートが氾濫する現代にこそ必要なシステムだと思っています。