ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

劇団のお芝居を拝見してきました(続々々)

2008-04-22 01:22:52 | 能楽
「能の上演時間は長い」。。そう言われてみれば、ぬえも何度となく耳にする言葉です。この言葉は能1番の上演所要時間の事ではなくて、催しそのものの公演の所要時間のこと。ときにはお弟子さんにそう言われることもある。そして、なんと楽屋でも時々耳にする言葉だったりするのです。時により能が3番出される催しの場合もあって、そんなある時、その三番能の催しのトメの能が始まるときに。。先輩がボソッとおっしゃいました。「。。これから。。『融』を前シテから見るお客さんも大変だね。。」

能が3番も出る催しの場合、同門の数も限られていますから、他門の方の応援を願っても当家の門下は能2番の地謡に出演するのは ある程度仕方がない面もあります。本当は集中力や下調べ、そして工夫を盛り込むためにも一日に出演する能は1番であるのが理想ではありますが、これは致し方のないところです。でも2番の能に出演すると、やはり地謡といえどもヘトヘトで、思わぬミスも出たりする事も。。そんな思いでしたから、疲れた自分のことばかり考えていた ぬえにとって、この先輩の言葉は ぬえにも考えさせられる言葉でした。ぬえは楽屋の事ばかり考えているけれど、そういえば、この催しにお付き合いして下さっているお客さまも大変だ。。

「独立○○周年能」などの記念公演とか「披露能」「追善能」など、流儀や家、そして能楽師個人の節目となる記念の公演の場合、ご宗家や流儀の実力者、師家などのご来演を願って錦上花を添えて頂くのは能楽界の中にいる立場として必要なことで、これらゲストの方々に主催者の能に後見や地頭を勤めてバックアップして頂くことで催しの本来の意義が能楽界の中で認知される意味を持つ事になります。そしてこれらの方々に、能や舞囃子、仕舞、独吟など独立した演目を勤めて頂く事で、その記念の舞台を彩って頂くことにもなります。そのために演目が増えて、ときには能が3番にも及ぶなど、どうしてもこういう記念の催しの上演時間は長大化するのは避けられず、ときには上演時間は5~6時間に及ぶことさえ少なくありません。これは、何度も言うようですが、ある程度仕方がない事でしょう。

節目の記念公演でない定期公演の場合でも、その会の同人というか、その会を構成するシテ方の人数の都合によって、全員が公平に、年に1回以上シテを舞うように年間の番組を組むと、どうしても能が3番になってしまう事もあります。これまたそれぞれの演者がチケットを販売しているのですから、能を舞う機会を平等にするために必要な措置でありましょう。

しかし能2番が出される、現在としては平均的な催しであっても、お狂言のほかに舞囃子や仕舞が盛りだくさんで、結果的に長大な上演時間に及ぶ催しはたくさんあります。かく言う ぬえも、去年催した『第3回 ぬえの会』は師匠の舞囃子・仕舞のほかに来演願ったシテ方や先輩にそれぞれ仕舞をご披露願いました。これは定例の催しではなく「節目の催し」の一種だと思いますが、いずれにせよやはり長大な催しだったことは否めないと思います。

この時主催者の立場として ぬえが考えたのは、この日師匠家や他門からのゲストの方には後見や地頭と
して ぬえの能をサポートして頂いたわけですが、それだけですと弟子の立場として、また他門からご来演を願っている立場として、なんだか自分ばかりが脚光を浴びて、目上の方々をサポート役に押し籠めてしまうように感じて、申し訳ないという気持ちも持ってしまう。また先ほども言ったように「舞台に錦上花を添えて頂く」という意味からも、師家や先輩にも仕舞などを勤めて頂くことによって、お客さまに喜んで頂きたい、という気持ちも持っていました。

。。さらに正直に白状すれば、こういう方々が舞う演目を作ることで、無名の ぬえ一人が能を舞う、という番組よりも、多少なりとも集客にプラスになるのではないか、という打算があったことも、これまた否めない事情ではありました。ただ、お客さまの立場に立って、本当に楽しめる催しになったのかどうか。。いえ、もちろんそこまで考えて番組は作りましたし、「ぬえ君の催しはいろんな会の人の仕舞が見れて新鮮だ」とおっしゃって頂く事もあるので、あながち間違ったとばかりは言えないとは思うのですが、いや、ちょっと待てよ。。