ぬえの能楽通信blog

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『歌占』。。運命が描かれる能(その19)

2008-06-10 02:41:40 | 能楽
ぬえの師家の型では地次第「月の夕の浮雲は。月の夕の浮雲は。後の世の迷なるべし」の間シテ柱にクツロギ(後ろ向きに居ること)、後見が出てシテの狩衣の両肩を下ろすことになっています。観世流の大成版謡本の挿絵を見ると、この曲では狩衣の肩は終曲まで上げたままなのですが。

両肩を上げる、とは、主に狩衣や長絹などの広袖の装束で、また小袖であっても水衣では行われる着付法で、袖の裄を半分にするように肩に引っ張り上げて留める方法です。これは演技上は作業をする立場の者、という意味で、つまり「腕まくり」ですね。逆に言えば、有職故実の十二単とか束帯姿というのは手を使って作業をするには甚だ不利な衣裳で、これは「作業は自分ではやらないよ~ん」という意思表示で、この姿でいる事が、そのままその人物の身分を表す事にもなります。

狩衣という装束は往古には貴族の普段着で、次第に扱いが変わってきたとはいえ、江戸時代には武家の礼服とさえなり、庶民の着る服ではありませんでした。ですから狩衣の「袖まくり」という事はあり得ないのです。でも能の中には肩を上げた狩衣姿がよく見られますね。そこにはやはり意味があります。『通小町』では深草少将が小野小町に会いたさに百夜通いをするために一人きりで深夜暗い道を歩むその姿であり、『小督』では近衛兵たる源仲国が、帝の命に馬を駆って嵯峨野を訪れて小督局の家を探す、という扮装で、どちらも平穏な貴族生活から、ある事件に突然引き込まれて、身を粉にして奮闘する、いわば異常な姿なのです。

(注:中世頃の絵巻物などに狩衣姿によく似た衣裳を着る庶民の姿がよく見られますが、これは狩衣ではなく水干です。狩衣と水干はよく似ていますが、最大の特徴は、狩衣は両方の前身頃を右肩のあたりで「トンボ」と呼ばれるフックで留めるのに対して、水干は首の後ろあたりから出した緒と、上前から出した緒とを結んで着付けるのです。。そう。能で狩衣を着る役はたくさんありますが、あの、右肩の前で紐を結んで着付けられた姿は。。それはじつは狩衣の着付け方ではなく、水干のそれなのです。。)

現代では狩衣を着るのは神官だけだと思われますが、この『歌占』のシテも神官ですね。神官は神に仕える者として、つまり神に奉仕する者として、作業も日々の日課としてあり、おそらくその意味で肩を上げるのには違和感が少ないのかもれません。そもそも神官が狩衣を着るのは、彼が神と人との橋渡しをする、という特別な身分だからでしょう。高貴でもあり、しもべでもある、神官とはそんな特別な身分なのでしょう。

この曲の中でシテが行う歌占いは、ある種の作業であるわけで、それで肩を上げた姿なのです。ところが歌占いが終わって親子の邂逅があり、さて名残に舞うクセの部分は、これは神への奉仕ではありませんですね。

この曲のシテが曲舞を作ってそれを舞って見せる理由はよくわかりませんが、神への非礼から頓死という臨死体験を経た彼にとってみれば、その時に体験した地獄の有様は神からの直接的な教訓であったはずです。そう考えてみれば、神と人との橋渡しをする、という神官としての根元的な仕事にとって、これほどインパクトのある体験もなかったはず。自分の占いが当たる、というような次元とは一線を画しています。神官としての彼が、これを「布教」。。とまでは言わないまでも、自分が実体験した神の言葉を民衆に伝えるべき、と考えたのは自明でしょう。ところが彼は、そんな恐ろしい体験をしていながら、しかもそれが自分が犯した神罰が原因と思い当たっていながら、まだ諸国を巡ることを止めていません。

そしてまた『歌占』という曲の特徴でもあるのですが、親子が離ればなれになっていながら、親たるシテは我が子を探そうともしていません。彼が我が子と邂逅できたのは、子どもの方が父を追い求め、ついにはよく当たると評判の辻占い師のもとに参じて自分の運命を問うたからにほかならないのです。それほどシテを動かした諸国遍歴への欲求が何から生じているのか。それはこの曲には書かれていませんけれども。。

あるいは「地獄の曲舞」というのは、彼が自分の欲求。。自分が奉仕する神への非礼をも省みず、突き動かされてしまった衝動を追求するために諸国を巡る、その生活費を得るための方便なのかもしれません。歌占いも、そう考えれば同じ意味であるでしょう。

占いも曲舞も、どちらもシテにとって自分の欲求のために売る「芸」であるとしたなら。。そうであるならば、占いは弓を扱う作業のために「袖まくり」をすることを必要とし、また曲舞は袖を翻して舞う必要があります。ぬえは師家の型附で、曲舞を舞うために肩を下ろすシテの姿に、そんな彼の「生活臭」を感じます。