ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『歌占』。。運命が描かれる能(その27)

2008-06-28 03:08:44 | 能楽

『歌占』の上演からもう1週間以上経っているのですね~。ここのところ忙しい日々を送っていてあまり書き込みができません~。そのうえ『歌占』の事を考察するのは いまさら、という感がしないわけでもないですが、ちょっと考えたことやご紹介したい事もあるので、書き継いでみることにしました。

まずは作者・観世十郎元雅のこと。ぬえは以前から『歌占』という曲は、どうも元雅「らしくない」能だと思っていたのですが(読者の方々の中にも同じ思いを持つ方は多いと思いますが。。)、さりとて世阿弥の伝書の記述ぶりを見るに、作者が元雅であることは疑いないようです。世阿弥伝書の記述をいま列挙すると。。

「歌占 元雅曲 是ハイセノ国二見ノ浦ノミコニテ候」(『五音』)
「地獄曲舞 南阿曲付 是ハ哀傷ノ声懸也。作書山本 百万能之内」(『五音』)
「序をば序と舞、責めつ含めつすること、定まれる也。剣樹共に解すとかや、石割地獄の と云所をば、きつと低く成りて、小足に拾う所也。さやうに責めては延べ責めては延べ、火燥足裏を焼く など云所にては、はや手も尽き、いかん共せられぬ所にては、後などへ理もなく踏んで退り、きりゝきりゝと廻り手などして、飢へては鉄丸を呑み などいふ所を待受けて、喜ふで扇を左へ取りて、打つ開きて、押して廻りなどする。かやうに道を守り得て、すべき時節時節有を、たゞ面白し斗見て、いまだ手も尽きぬにくるりと廻り廻りなどする、あさましき事也。(『申楽談儀』)

ちょっと判りにくい点もあるかと思いますが、現代の能楽研究の成果によれば、『歌占』は次のような経緯で成立したと推測されます。このことは昨年末に『山姥』を勤めたときにもこのブログで少し触れましたですね。なんだか機縁のある曲を連続して上演できて、不思議な感覚。

古作の能『嵯峨物狂』は作者は特定できないものの観阿弥が得意としていた曲で、一方当時、山本某作詞・海老名南阿弥作曲になる「地獄の曲舞」という、能とは別の芸能の曲舞(くせまい)があった。観阿弥は女曲舞の百万の流れを汲む賀歌女の乙鶴に曲舞を学び、おそらく彼が「地獄の曲舞」を能の『嵯峨物狂』に取り入れた。ところが「地獄の曲舞」は女曲舞がシテの『嵯峨物狂』には似合わなかったためか、おそらく世阿弥の手によって廃棄され、代わりに新作の曲舞が挿入され、これが現行の能『百万』となった。一方、捨て去られた「地獄の曲舞」は観世十郎元雅によって再利用され、現行曲『歌占』が新作された。

なんと親子三代に渡って取捨選択・廃棄再利用が図られて、1番の能(と1曲の曲舞)から2番の現行曲が作られたのです。

それにしても元雅の作品とされるほかの能『弱法師』『隅田川』『盛久』と比べても、『歌占』はかなり異質。というか、むしろ能の中でも、臨死体験をし、若い身ながら総白髪という特異な風貌の主人公が登場する曲は『歌占』以外には『蝉丸』ぐらいしかないでしょう(人間の役、として。『鵺』や『殺生石』のような怪物は除外して考えた場合、です)。そんなシテの設定の特異性からか、ぬえは『歌占』を元雅らしくない曲だと考えていました。

ところが、今回 研能会での上演のためにこの曲の稽古を続けているうちに、なんとなく、ですが、やはり観世十郎元雅の作品なのかもしれない。。と考えるようになってきました。。それが、このブログの記事につけた「運命が描かれる能」という副題のような思いなのです。