ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『歌占』。。運命が描かれる能(その18)

2008-06-07 01:29:42 | 能楽

面装束を見せる機会がありまして、押入のなか(←ぬえ家の装束蔵 (;^_^A アセアセ…)から装束や面を出していたら。。あれ~~?? こんな面を ぬえ、持っていたっけ。。さっき急いで撮影したばかりなのでピンぼけで申し訳ありませんが、普通とは違って青白い相貌の「邯鄲男」です。この青白さが。。『歌占』には似合うな。。臨死体験をした白髪の若者。。常の「邯鄲男」が浅黒い健康的な顔色なので、どうもこの曲には似合わないのですが、これだけ青白くてハッキリした表情だと、まさに『歌占』の男神子の相貌に思えてきました。。今回は直面で勤めるつもりだったのだけれど。。う~~、にわかに迷ってきました~。(;.;)

さて地謡による上歌が終わると、親子の再会ぼドラマを目撃したツレが声を掛けます。

ツレ「かゝる不思議なる事こそ候はね。さては御子息にて候か。

ここでシテは正面に直す、と型附には書いてあるのですが。。う~ん、それではせっかく親子が再会する場面を描いてきた、その意味が死んじゃうような。。どうせその直後にはツレに対して返答するためにツレの方を向くのだから、せめてそれまでの間は子方に向いたまま、その顔を見入っている、という選択もあるかも。。

シテ「さん候疑もなき我が子にて候。これも神の御引き合はせと存じ候程に。やがて伴ひ帰国せうずるにて候。
ツレ「近頃めでたき御事にて候ものかな。又人の申され候は。地獄の有様を曲舞に作りて御謡ひある由承り及びて候。とてもの事に謡うて御聞かせ候へ。
シテ「易き御事にて候へども。此の一曲を狂言すれば。神気が添うて現なくなり候へども。よしよし帰国の事なれば。面面名残の一曲に。現なき有様見せ申さん。

問答の最後にシテは子方を立たせ、地謡の「次第」の謡の間に子方は元の座へ戻って下居します。

さて ここでおもむろにツレが所望する「地獄の曲舞」ですが、『歌占』という曲の中心をなす場面です。それにしても、前述したように、観世流ではシテは登場した場面で自分の境涯を語るとき、「我一見のために国々を巡る。ある時俄に頓死す。また三日と申すに蘇る。これも神の御咎めと存じ候ほどに」と臨死体験の原因がなぜ「神の御咎め」であるのかはなはだ不分明で、そのためこの地獄の曲舞の部分も、まるでシテの創作の産物であるかのように聞こえてしまいますね。

この点、下掛りではシテは冒頭で「われは伊勢の国二見の浦の神子にて候が、廻国の望みあるにより神に御暇も申さで、諸国を廻り候ひしその神罪にや頓死し、三日と申すによみがへる。その間の地獄の苦しみにかやうに白髪となりて候」と言っていて、臨死体験の原因は神への非礼であった事がはっきり表れています。そのうえシテは臨死体験のうちに地獄に行き、そのときの苦しい体験を曲舞に仕立てたこともよくわかります。

さればこそ「此の一曲を狂言すれば。神気が添うて現なくな」るのであって、それはシテにとって地獄の曲舞を舞うことは、臨死体験を再び追経験することに他ならないのです。結局、このシテは天寿を全うした後には地獄行きが待ちかまえているのね。。世の中には知らない方がよかった、という事だってありますものねえ。。

地謡「月の夕の浮雲は。月の夕の浮雲は。後の世の迷なるべし。

この間にシテはシテ柱へ行き正面へ向きます。。が、これまた前述したように、ぬえの師家の型では、ここでたくし上げていた狩衣の袖を下ろすことになっています。