ぬえの能楽通信blog

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『歌占』。。運命が描かれる能(その24)

2008-06-16 23:16:21 | 能楽
ところでこの「地獄の曲舞」には「斬鎚地獄」「剣樹地獄」「石割地獄」「火盆地獄」「焦熱(地獄)」「大焦熱(地獄)」「紅蓮(地獄)」「大紅蓮(地獄)」など多くの地獄の種類が描かれますが、じつはこれらの地獄の数々の大部分は経文などには見えない、とても独自性の強いものなのだそうです。それについて、ある僧が残した消息(手紙)の内容との酷似が指摘されているのですが、まあ、手紙が「地獄の曲舞」の本説であるはずはなく、現在には伝わらない、地獄の案内書か絵巻のような共通の原拠があって、そこから消息と「地獄の曲舞」の両方が誕生したのでしょう。今となってはもうわからない事ですが、その多様な地獄の有様、そのリアルな表現が当時としては目新しく、それが作者がこのクセを書いた大きな動機だったのかもしれません。

また一方、この「地獄の曲舞」はかつて能『嵯峨物狂』の中にあったものが、そこから取り外されて、その代わりに世阿弥が新しくクセを創作して作られたのが現行の『百万』となり、取り外された「地獄の曲舞」を基にして世阿弥の子の観世十郎元雅が『歌占』を新作したのは有名な話です。いうなれば一つの『嵯峨物狂』という曲から現行曲二つが誕生したわけで、これも能の成立過程としては興味深い曲だといえますね。そのうえ、『歌占』は「地獄の曲舞」の方が先行して成立していて、そこに肉付けをして親子の不思議な邂逅譚として一番の能に仕立て上げたのですから、観世十郎元雅という人はやっぱり非凡な才能の持ち主だと思います。

シテ「後の世の。闇をば何と。照すらん。地謡「胸の鏡よ心濁すな。

クセが終わるとシテは一セイを上げながら常座へ行き、正面にヒラキをしたところで大小打上を聞いて「胸の鏡よ」と三ツ拍子を踏み、中左右、打込、ヒラキをして地謡の文句いっぱいに左足拍子を踏んで「立廻リ」となります。

このところ、なんだか不思議な場面です。謡の感じでは舞にかかる直前のようでもあり、型としてはどちらかというと舞の終わり。。それも男舞が終わったあとのキリに向かってゆく場面のようでもあり。替エの型で中左右はせずに拍子を二つ踏んで正へ出、右にノッてまた拍子二つ踏み、常座に下がって「立廻リ」となる、というものもあるようですが、これは狂女能などで「翔」になる直前の型ですね。いずれにせよ、この「立廻リ」があまりハッキリした意味を持っていない、という意味なのだと思います。

そもそも「立廻リ」という舞? そのものが能の中では割と曖昧模糊とした所作だと言えると思います。囃子の手付を見ても、同じ曲なのに「立廻リ」と書いてあったり「イロエ」と書いてあったり、どうも判然としない部分が多い。先日、といっても半年前になりますが ぬえが勤めた『山姥』にも「立廻リ」がありますが、これも「山廻り」のさまを具体的に表したとはちょっと思えないものです。強いて言えば山姥が山を廻り、それがそのまま輪廻の輪の中から脱する事のできない、彼女の煩悩に対する悩みを描いているとか、型のディテールではなくて、もっと大きく捉えないといけない所作だと思うのです。

また「立廻リ」は曲によって大きく所作が異なっているのも特徴で、『歌占』の場合は 角に出、正へ直さずに左へ廻り、橋掛り二之松まで行き足を止め、それより左に取って一之松に立ち戻り、正面に向いて「あら悲しや。。」と謡いカケることになっています。よく言われるのは地獄の獄卒に追い立てられて、行き所をなくして彷徨する姿、とされているのですが、追い立てられる、という速度では歩みません。もう少し静かに、さりとて位としてはサラサラと、そんなあたりの歩み方なのだと思います。

そうなると「立廻リ」のあとにシテが言う文句「あら悲しや唯今参りて候に。これ程はなどやお責めあるぞ」を見てもやはり獄卒に追われている姿、というのは本当としても、これまた現実に追い立てられている所作と言うよりも、もっと大きく捉えるべきで、どちらに向いても、どこを見ても地獄の中で、その中で居所を定めることができずに虚ろな目をして漂流する、渡会の魂の表現、と捉えた方がよいのでしょうね。