ところで、ぬえの師家の型附では、このところで狩衣の両肩を下ろすのに、地次第「月の夕の浮雲は。月の夕の浮雲は。後の世の迷なるべし」でシテ柱にクツロギ、後見が両肩を下ろすことになっています。普通、物着であれ、肩を下ろす作業であれ、装束を改めてシテの姿を変える場合にはシテは下居(座ること)するのですが。。この曲では立ったままですね。おそらく地次第の文句が短いため、シテが下居すると、狩衣の肩を下ろして再び立ち上がり、正面を向いてクリを謡い出すのが遅れる、と考えられた上でつけられた型でしょう。
しかし、やはりシテが立ったままで。。ということは後見も立ったままでシテの肩を下ろすのは、やっぱり不作法なのではないか、と ぬえは思います。で、稽古の際に『歌占』の録音を掛けながらやってみました。うん、どうやら後見と手順をよく打ち合わせておけば下居してもなんとか後の型は間に合いそうです。
そもそも型附では、地次第の直前に子方を立たせて、地次第で子方は脇座に戻って着座、シテはシテ柱にクツロいで肩を下ろすことになっているのですが、これも言葉そのままに勤めてしまうと、たったいま再会したばかりの子方と、まるで左右に袂を分かって別れて行くように見えてしまうでしょう。やはりここは子方が脇座に向かって歩むその背中を、せめて2~3歩だけでも見送るべきで、そうすればシテが名残の曲舞を舞う間だけ、子方は「とりあえず」控えて見ている、という感じに映るのです。
もちろん、地次第となってから子方をしばらく見送れば、その分だけシテはシテ柱にクツログのが遅れるわけで、それからシテ柱で下居して肩を下ろすと、いよいよ立ち上がって正面に向いて謡い出すのに間に合わない、という危険性は増すのですが。。
それじゃ、逆に地次第になる前に子方を脇座に帰してしまう、という方法も考えたのですが、演技の手順としてはラクになっても、それは出来ない事です。地次第の直前の文句はシテが謡う「面々名残の一曲に。現なき有様見せ申さん」という言葉なので、その文意を考えれば、この言葉はツレをはじめ、その場に居合わせた人々に向けて発せられているものであることは明瞭です。これから自分が同道して故郷へ連れ帰る子方に向けて発せられている言葉ではないのかもしれませんが、これほど決意に満ちた言葉を発している間には、シテのほかに動いている人物があってはならない。舞台効果が半減してしまいますし、そもそもこういう言葉が目前で発せられていては、子方もシテに背を向けることはできないはずだと思うのです。
型附は演技の規範であるので固守すべきものであるのは間違いないことなのですが、また一面、先人の工夫の積み重ねが形をなしたもの、という考え方もあります。時代々々や家によって、いろいろな型の記録が残されているのも事実で、演者の中には「型附はメモに過ぎない」と言い切る方もあります。ぬえはそれは極論だと思うけれども、要するに固守すべきなのは型附に書かれている歩数や型のタイミングなのではなくて、先人の心であろうと思います。もとより演技は書き付けだけで表現しきれる性質のものではないのですから、これを汲み取ることができないと、その文句が来たからその型をする、というだけの無味乾燥な演技になってしまうでしょうし。。先人が後輩のために残してくださった型附は、その心を汲んだうえで演者が肉づけをしてゆくもの、と ぬえは師匠から教えられてきたのだと思います。
ちょっと話が飛躍しましたが、おそらく師家の型附でも「地次第となるや否やすぐにシテと子方は脇座とシテ柱に別れる」という意味で書いてあるわけではないと思いましたので、ここは子方をしばし見送り、それからシテ柱にクツログことにしました。また肩を下ろすところを立ったままで行うのも、これも「本来は下居して肩を下ろすところ、この曲では次の型を余裕を持って行うために、見栄えは悪いけれども立ったままで行うことを許容する」という意味に捉えるべきだと思いました(家により肩を下ろさない型があるのも、作業が大変忙しいという同じ理由から、あるいは立ったままで物着をするような不作法をするよりも、いっそ肩を上げたままにしておく、という選択だったのかもしれませんね)。
結局、稽古をしてみた感じでは、地謡や後見とよく打合せが出来るのであれば下居でも決して不可能な作業ではないように思うので、今回はあえて下居の型でやってみたいと思います。
しかし、やはりシテが立ったままで。。ということは後見も立ったままでシテの肩を下ろすのは、やっぱり不作法なのではないか、と ぬえは思います。で、稽古の際に『歌占』の録音を掛けながらやってみました。うん、どうやら後見と手順をよく打ち合わせておけば下居してもなんとか後の型は間に合いそうです。
そもそも型附では、地次第の直前に子方を立たせて、地次第で子方は脇座に戻って着座、シテはシテ柱にクツロいで肩を下ろすことになっているのですが、これも言葉そのままに勤めてしまうと、たったいま再会したばかりの子方と、まるで左右に袂を分かって別れて行くように見えてしまうでしょう。やはりここは子方が脇座に向かって歩むその背中を、せめて2~3歩だけでも見送るべきで、そうすればシテが名残の曲舞を舞う間だけ、子方は「とりあえず」控えて見ている、という感じに映るのです。
もちろん、地次第となってから子方をしばらく見送れば、その分だけシテはシテ柱にクツログのが遅れるわけで、それからシテ柱で下居して肩を下ろすと、いよいよ立ち上がって正面に向いて謡い出すのに間に合わない、という危険性は増すのですが。。
それじゃ、逆に地次第になる前に子方を脇座に帰してしまう、という方法も考えたのですが、演技の手順としてはラクになっても、それは出来ない事です。地次第の直前の文句はシテが謡う「面々名残の一曲に。現なき有様見せ申さん」という言葉なので、その文意を考えれば、この言葉はツレをはじめ、その場に居合わせた人々に向けて発せられているものであることは明瞭です。これから自分が同道して故郷へ連れ帰る子方に向けて発せられている言葉ではないのかもしれませんが、これほど決意に満ちた言葉を発している間には、シテのほかに動いている人物があってはならない。舞台効果が半減してしまいますし、そもそもこういう言葉が目前で発せられていては、子方もシテに背を向けることはできないはずだと思うのです。
型附は演技の規範であるので固守すべきものであるのは間違いないことなのですが、また一面、先人の工夫の積み重ねが形をなしたもの、という考え方もあります。時代々々や家によって、いろいろな型の記録が残されているのも事実で、演者の中には「型附はメモに過ぎない」と言い切る方もあります。ぬえはそれは極論だと思うけれども、要するに固守すべきなのは型附に書かれている歩数や型のタイミングなのではなくて、先人の心であろうと思います。もとより演技は書き付けだけで表現しきれる性質のものではないのですから、これを汲み取ることができないと、その文句が来たからその型をする、というだけの無味乾燥な演技になってしまうでしょうし。。先人が後輩のために残してくださった型附は、その心を汲んだうえで演者が肉づけをしてゆくもの、と ぬえは師匠から教えられてきたのだと思います。
ちょっと話が飛躍しましたが、おそらく師家の型附でも「地次第となるや否やすぐにシテと子方は脇座とシテ柱に別れる」という意味で書いてあるわけではないと思いましたので、ここは子方をしばし見送り、それからシテ柱にクツログことにしました。また肩を下ろすところを立ったままで行うのも、これも「本来は下居して肩を下ろすところ、この曲では次の型を余裕を持って行うために、見栄えは悪いけれども立ったままで行うことを許容する」という意味に捉えるべきだと思いました(家により肩を下ろさない型があるのも、作業が大変忙しいという同じ理由から、あるいは立ったままで物着をするような不作法をするよりも、いっそ肩を上げたままにしておく、という選択だったのかもしれませんね)。
結局、稽古をしてみた感じでは、地謡や後見とよく打合せが出来るのであれば下居でも決して不可能な作業ではないように思うので、今回はあえて下居の型でやってみたいと思います。