またマルセルは、日本滞在中はフランス映画の海外宣伝機関「ユニ・フランス」の極東地区代表も務め、フランス映画を日本に紹介。それのみならず日本映画をカンヌ国際映画祭に出品するのに貢献するなど、日本映画にとっても恩人にあたる活動があって、日本映画に功績のあった人に贈られる川喜多賞を受賞。そのほか日本国内でも旭日中綬章、日本映画ペンクラブ賞を受賞章、フランスでもいくつもの賞を受けたそうです。
エレーヌの死後、ずっと後年には再婚もしましたが、日本を離れて帰国したあとも自宅に日本庭園を設えるなど、知日家・親日家として広く知られていたマルセル。敏腕記者で、日本でも歴代首相ほか文化人などにも広く知己を得るに到るマルセル。しかし、後年の彼の映画の分野での活躍が、この除幕式の映像との関連を雄弁に説明するように思います。
最初の妻エレーヌの逝去に際して、若き妻の遺髪を携えて遠い異国に旅立ち、彼女の憧憬の地…エレーヌの魂が飛翔の力を得てすでに到着しているであろうその三保松原に立ちつくす…その追想の姿は純粋で美しく、まさに「絵になる」ものでありましょう。
それほどに亡きエレーヌの思いとマルセルの行動は感動的なものであったし、しかも敗戦後間もない頃という時代背景を考えれば、日本の敵対国であったフランスで、世間の混乱の中でこれほど純粋に日本を愛していてくれていた人がいた、と知った日本人にとっては、ようやくつかんだ「平和」の象徴に見えたことでしょう。彼のこの旅を知って協力を申し出た人は日本国内に大勢いたでしょうし、事実、彼の姿を見た日本人の心をも感銘させ、ついに市民の寄付によって「羽衣の碑」が建立されるに到るわけです。
そのクライマックスにあたるのがこの除幕式であってみれば、敏腕ジャーナリストのマルセルにとって、これを記録する欲求が起きるのは当然ではないでしょうか? 協力者の多い彼の環境も、その気持ちがなにかを生み出す素地に思えたろうし、さらに言えば国際ジャーナリストとしてマルセルが、疲弊しきった戦後のヨーロッパ世界へ平和のメッセージを発信する絶好の機会とも見えたのではないでしょうか。そしてその結実としてこのフィルムが存在するのではないか? と想像をたくましくした ぬえでした。
いや、ぬえは 妻の死後4ヶ月目にして来日を果たしたマルセルの純粋な心を疑うわけではありませんし、その純粋は除幕式の映像にも彼の涙として記録されているわけですが…当時まだ30歳前後という若さではあったマルセルが、自費ではなく派遣記者として日本に赴任したその交渉能力の高さを加味して考えてみるに、報道者である彼が、エレーヌのへの追想によってみずから戦後世界への平和メッセージを発信する側の人間になる可能性に気づいていないわけではないと思うのです。
そう考えてこのフィルムを改めて見てみると、除幕式という式典のドキュメンタリーでありながら、日本の習俗の紹介にも心を配っている様子が窺え、これはやはりフランスでの上映を念頭に置いた撮影であったと考えるのが自然だと思います。しかし同時に ぬえは報道としてはどうも客観性に欠けるというか…当事者が企画・製作したならではの主観性をこのフィルムには感じるのですよね。
この印象が、ぬえには相変わらず誰のために撮ったフフィルムだろう…という疑問を起こさせるのです。
おそらく鮒さんが言ったように、このフィルムを作らせたのはマルセル自身であろうと ぬえも今は考えるようになりました。その上で、その時の彼の気持ちとしては、最初こそこのフィルムは自分とエレーヌとの思い出の締めくくりとして個人的に撮影させたのだと思いますが、彼のジャーナリスト魂が、このフィルムが戦後ヨーロッパ世界で重要なメッセージを持つことを意識して、編集の手を加えたのではないか? と想像しています。
映像を再生する場がもうひとつ明快でない全体の印象。式典の音声記録が一切なく、アフレコとナレーション、BGMの追加による構成…これらの事実が どうも ぬえには私家版記録映像からドキュメンタリーに変貌した、このフィルムの性格の変化を表しているようにも思えます。
なおマルセルについて調べた ぬえですが、やがて驚愕の事実を知るに至りました…
エレーヌの死後、ずっと後年には再婚もしましたが、日本を離れて帰国したあとも自宅に日本庭園を設えるなど、知日家・親日家として広く知られていたマルセル。敏腕記者で、日本でも歴代首相ほか文化人などにも広く知己を得るに到るマルセル。しかし、後年の彼の映画の分野での活躍が、この除幕式の映像との関連を雄弁に説明するように思います。
最初の妻エレーヌの逝去に際して、若き妻の遺髪を携えて遠い異国に旅立ち、彼女の憧憬の地…エレーヌの魂が飛翔の力を得てすでに到着しているであろうその三保松原に立ちつくす…その追想の姿は純粋で美しく、まさに「絵になる」ものでありましょう。
それほどに亡きエレーヌの思いとマルセルの行動は感動的なものであったし、しかも敗戦後間もない頃という時代背景を考えれば、日本の敵対国であったフランスで、世間の混乱の中でこれほど純粋に日本を愛していてくれていた人がいた、と知った日本人にとっては、ようやくつかんだ「平和」の象徴に見えたことでしょう。彼のこの旅を知って協力を申し出た人は日本国内に大勢いたでしょうし、事実、彼の姿を見た日本人の心をも感銘させ、ついに市民の寄付によって「羽衣の碑」が建立されるに到るわけです。
そのクライマックスにあたるのがこの除幕式であってみれば、敏腕ジャーナリストのマルセルにとって、これを記録する欲求が起きるのは当然ではないでしょうか? 協力者の多い彼の環境も、その気持ちがなにかを生み出す素地に思えたろうし、さらに言えば国際ジャーナリストとしてマルセルが、疲弊しきった戦後のヨーロッパ世界へ平和のメッセージを発信する絶好の機会とも見えたのではないでしょうか。そしてその結実としてこのフィルムが存在するのではないか? と想像をたくましくした ぬえでした。
いや、ぬえは 妻の死後4ヶ月目にして来日を果たしたマルセルの純粋な心を疑うわけではありませんし、その純粋は除幕式の映像にも彼の涙として記録されているわけですが…当時まだ30歳前後という若さではあったマルセルが、自費ではなく派遣記者として日本に赴任したその交渉能力の高さを加味して考えてみるに、報道者である彼が、エレーヌのへの追想によってみずから戦後世界への平和メッセージを発信する側の人間になる可能性に気づいていないわけではないと思うのです。
そう考えてこのフィルムを改めて見てみると、除幕式という式典のドキュメンタリーでありながら、日本の習俗の紹介にも心を配っている様子が窺え、これはやはりフランスでの上映を念頭に置いた撮影であったと考えるのが自然だと思います。しかし同時に ぬえは報道としてはどうも客観性に欠けるというか…当事者が企画・製作したならではの主観性をこのフィルムには感じるのですよね。
この印象が、ぬえには相変わらず誰のために撮ったフフィルムだろう…という疑問を起こさせるのです。
おそらく鮒さんが言ったように、このフィルムを作らせたのはマルセル自身であろうと ぬえも今は考えるようになりました。その上で、その時の彼の気持ちとしては、最初こそこのフィルムは自分とエレーヌとの思い出の締めくくりとして個人的に撮影させたのだと思いますが、彼のジャーナリスト魂が、このフィルムが戦後ヨーロッパ世界で重要なメッセージを持つことを意識して、編集の手を加えたのではないか? と想像しています。
映像を再生する場がもうひとつ明快でない全体の印象。式典の音声記録が一切なく、アフレコとナレーション、BGMの追加による構成…これらの事実が どうも ぬえには私家版記録映像からドキュメンタリーに変貌した、このフィルムの性格の変化を表しているようにも思えます。
なおマルセルについて調べた ぬえですが、やがて驚愕の事実を知るに至りました…