ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その1)

2010-06-14 03:18:47 | 能楽
先日もお知らせしましたように、ぬえは来る7月17日に東京で行われる師家の月例公演「梅若研能会」にて能『自然居士』(じねんこじ)を勤めさせて頂きます。

それに先立ち、この能について思うことや発見したことなどをご紹介して参ろうと存じます。短い間ではありますが、よろしくご愛顧くださいまし~

まずは例によって舞台経過の説明からはじめたいと思います。なお、以下に掲出する詞章は、ぬえの実演に際してのそれぞれの本役のお流儀に準拠…すなわちシテ=観世流、ワキ(およびワキツレ)=下懸リ宝生流、間=大蔵流<山本家>しております。

「お調べ」が済み囃子方が幕から登場し、舞台後座にかかる頃、切戸より地謡も登場してそれぞれ所定の位置に着座します。これを「座着キ」などと言っておりますが、一同が座に着くとすぐに幕が揚げられ、間狂言が登場します。

間「かやうに候者は。東山雲居寺の門前に住居する者にて候。こゝに自然居士と申す説教者の渡り候が。雲居寺造営のため。七日の説法を御述べ候。すなはち今日結願にて。聴衆も群衆仕り候間。急ぎ居士を呼び出だし、説法を述べさせ申さばやと存ずる。

間狂言は門前の庶民という設定ですので、装束は狂言肩衣に半袴という、本狂言に登場する太郎冠者などと共通する装いです。間狂言が舞台常座に立って上記のような説明をすることによって、舞台が京都・東山の雲居寺であり、その雲居寺の造営のために自然居士という「説教者」が七日の説法をしている、という状況がわかります。…これは当然 信者の聴聞を呼び掛けたうえで、そこから布施を募るのが目的なのですね。そうして今日がその七日の説法の最終日に当たるわけです。

ちなみに雲居寺は観世流の場合シテは「ウンゴジ」と発音しますが、間狂言やワキのお流儀によって「ウンコジ」と読む場合もあって、これらは同じひとつの舞台の上でもすり合わせをして発音を統一する、ということがありません。つまりワキ方や狂言方それぞれのお流儀の定めを尊重しているわけです。能では慣習的に、舞台進行に直接影響を及ぼしてしまうような場合には申合でよく打合せをして、多くはシテ方の流儀の定めにワキや狂言がおつきあいをして舞台に齟齬が起こらないようにする、という方法をとります…たとえばシテに間狂言が小道具を渡すならば、どのタイミングで、どのような向きで手渡して頂くのかについては申合でよく打合せをしておきます。

しかし、詞章の小異などは省みられることが多いとは言い難いのが現状で、それぞれのお流儀に伝わる本文をそのまま謡うことも多いのです。『自然居士』でも「雲居寺」の読み方が役によってまちまちなのは どうも不具合にも感じないわけでもありませんが、まあ、舞台進行上に大きな矛盾を引き起こすような重大な異同ではないので、慣習的に各お流儀に伝わるそのままの詞章が舞台に出されることになります。

まあ、しかし、ひとつの寺の名前が、会話をしている役ごとに違っているのもおかしな話ではありますので、将来的には統一が図られる可能性がないわけではありません。もしそれがなされる場合には、正式には各流儀の宗家が集って相談して、たとえば観世流の『自然居士』ではシテが雲居寺を「ウンゴジ」と発音しているので、ワキ方や狂言方もそれにおつきあいして「観世流相手の場合には こう発音する」という取り決めをするわけです。これを「申合」(もうしあわせ)と言います。

ご存じの通り、能では公演の前に一度だけリハーサルを行いますが、これまた「申合」と呼ぶのは広く知られているところだと思います。これに対して、ひとつの曲の上演にあたって それぞれの役を担当する流儀がお互いの流儀の主張ややり方を押し通すと甚だしい不具合が起きる場合には、各流儀の代表者が会合を持って調整をし、お相手の流儀の組み合わせによって自分の流儀のやり方を修正し、それをその流儀の正式な定めとするわけで、これもまた「申合」と呼ばれています。