上記ワキの詞章は、今回の ぬえの所演の際のお相手である、下懸リ宝生流に拠りました。観世流の謡本に掲載されている詞章は観世座付きだった福王流のそれが ほぼ踏襲されているのですが、流儀によって詞章には多少の異同があります。『自然居士』の場合は、もともと劇的な能ですので、こういった詞章の違いは舞台上に割と大きな変化をもたらしますね。
いま観世流の謡本にある同じ箇所のワキの詞章を掲出します。
ワキ「かやうに候者は。東国方の人商人にて候。我この度都に上り。数多人を買ひ取りて候。また十四五ばかりなる女を買ひ取りて候が。昨日少しの間暇を乞ひて候ほどに遣りて候が。未だ帰らず候。なう渡り候か。昨日の幼き者は。親の追善とやらん申して候ひつる程に。説法の座敷にあらうずると存じ候。自然居士の雲居寺に御座候ほどに。立ち越え見うずるにて候。ワキツレ「然るべう候
二つの流儀の詞章を比べてみるに、最も大きな違いは、観世流の詞章では、ワキは子方が暇を乞いて向かった先の見当がついていることでしょう。亡くなった両親の追善のために暇を得たのですから、彼女が自らを売った理由も同じだろうことは類推できると思います。一方下懸リ宝生流の詞章では、ワキは彼女について、自ら身を売ったこと、昨日暇を乞うたこと、以上の情報を持っていません。
両親を亡くして孤児となった少女が、自らの未来に絶望を感じ、人生を捨てて、それでも両親の追善供養を営もうとする姿は、あまりに美しく、はかない…この事情を知っても意に留めずに彼女を商売道具としてしか認めない、観世流の詞章によるワキは冷酷に見える効果が高いかもしれません…が、まあ、この場面では伏線としての効果以上の違いはないかも。このあとの場面では、割と二つの詞章の違いによる効果が鮮明になってきます。
さて雲居寺に向かったワキとワキツレは案の定そこに少女の姿を見つけ、荒けなく引き立ててゆきます。この場面、この能の最初のクライマックスで、間狂言が活躍する場面です。
ワキ「や。さればこそこれに候。あの高座近き幼き者にて候。急ぎ引き立てて来り候へ。
ワキツレ「心得申し候。立てとこそ。
間「やるまいぞやるまいぞ。
ワキ「用がある。
間「用があるともやるまいぞ。
ワキ「用がある
間「用があらば連れて行かうまでよ。これは如何なこと、ただ今の幼き人を荒けなき男の二人して引っ立てて参った。まずこの由居士へ申さう。
橋掛リでワキと入れ替わったワキツレは子方のもとへ走り行き子方を引き立てて脇座の方へ連れて行きます。これにワキは悠々と続くのですが、橋掛リ一之松に立った間狂言に欄干越しに「やるまいぞ」と制止されると、はじめは、これも悠々と「用がある」と相手にせず歩み行きます。なおも間狂言に制止されると、今度はワキは気色ばんで間狂言に向き直り、腰の小刀に手を掛けて「用がある」と威嚇し、さすがに身の危険を感じた間狂言は仕方なく二人が子方を連れて行くのを見送ります。しかし、これは一大事と、事の成り行きを居士に報告することになります。
間「いかに居士へ申し候。
シテ「何事にて候ぞ。
間「ただ今の幼き人を。荒けなき男の二人して引っ立てて参りて候間。某やるまいぞと申して候へば。用があると申す程に遣って候。
いま観世流の謡本にある同じ箇所のワキの詞章を掲出します。
ワキ「かやうに候者は。東国方の人商人にて候。我この度都に上り。数多人を買ひ取りて候。また十四五ばかりなる女を買ひ取りて候が。昨日少しの間暇を乞ひて候ほどに遣りて候が。未だ帰らず候。なう渡り候か。昨日の幼き者は。親の追善とやらん申して候ひつる程に。説法の座敷にあらうずると存じ候。自然居士の雲居寺に御座候ほどに。立ち越え見うずるにて候。ワキツレ「然るべう候
二つの流儀の詞章を比べてみるに、最も大きな違いは、観世流の詞章では、ワキは子方が暇を乞いて向かった先の見当がついていることでしょう。亡くなった両親の追善のために暇を得たのですから、彼女が自らを売った理由も同じだろうことは類推できると思います。一方下懸リ宝生流の詞章では、ワキは彼女について、自ら身を売ったこと、昨日暇を乞うたこと、以上の情報を持っていません。
両親を亡くして孤児となった少女が、自らの未来に絶望を感じ、人生を捨てて、それでも両親の追善供養を営もうとする姿は、あまりに美しく、はかない…この事情を知っても意に留めずに彼女を商売道具としてしか認めない、観世流の詞章によるワキは冷酷に見える効果が高いかもしれません…が、まあ、この場面では伏線としての効果以上の違いはないかも。このあとの場面では、割と二つの詞章の違いによる効果が鮮明になってきます。
さて雲居寺に向かったワキとワキツレは案の定そこに少女の姿を見つけ、荒けなく引き立ててゆきます。この場面、この能の最初のクライマックスで、間狂言が活躍する場面です。
ワキ「や。さればこそこれに候。あの高座近き幼き者にて候。急ぎ引き立てて来り候へ。
ワキツレ「心得申し候。立てとこそ。
間「やるまいぞやるまいぞ。
ワキ「用がある。
間「用があるともやるまいぞ。
ワキ「用がある
間「用があらば連れて行かうまでよ。これは如何なこと、ただ今の幼き人を荒けなき男の二人して引っ立てて参った。まずこの由居士へ申さう。
橋掛リでワキと入れ替わったワキツレは子方のもとへ走り行き子方を引き立てて脇座の方へ連れて行きます。これにワキは悠々と続くのですが、橋掛リ一之松に立った間狂言に欄干越しに「やるまいぞ」と制止されると、はじめは、これも悠々と「用がある」と相手にせず歩み行きます。なおも間狂言に制止されると、今度はワキは気色ばんで間狂言に向き直り、腰の小刀に手を掛けて「用がある」と威嚇し、さすがに身の危険を感じた間狂言は仕方なく二人が子方を連れて行くのを見送ります。しかし、これは一大事と、事の成り行きを居士に報告することになります。
間「いかに居士へ申し候。
シテ「何事にて候ぞ。
間「ただ今の幼き人を。荒けなき男の二人して引っ立てて参りて候間。某やるまいぞと申して候へば。用があると申す程に遣って候。