シテ「夕べの空の雲居寺。月待つほどの慰めに。説法一座述べんとて。導師高座にあがり。発願の鉦打ち鳴らし。謹み敬つて白す。一代教主釈迦牟尼宝号。三世の諸仏十方の薩陀に申して白さく。総神分に般若心経。
シテは「謹み敬って白す」から合掌します。その前、「夕べの空の」と謡い出すと、すぐに子方が幕を揚げ橋掛リに登場します。子方は観世流の場合女児で、直面であるほかは唐織着流のシテやツレと同装で、左手には縫箔を肘に掛け、文を手にして登場します。文は両親の追善のための諷誦文(ふじゅもん=死者の追善供養のため施主が仏事の趣旨や供物の内容を述べて僧に読誦を請う文)で、縫箔は寄進する布施です。
…ところがこの子方、シテ方の流儀によっては男児なんですってね! 思うに、狂女物の能で親子が邂逅するストーリーの場合は、ほとんど男児です。『自然居士』は狂女物ではないけれども、四番目という曲籍は同じ。類型化の意識が働いてこうなったのでしょうか。ぬえは個人的には女児である方が、それを救出する自然居士の活躍が引き立つように思いますけれども…
子方が一之松の近くまで歩み出ると(シテが謡っているのにかぶせながら)間狂言が次のように言い、子方から文と縫箔を受け取ると、子方を連れてシテの前に行きます。
間「あらいたいけや。これなる幼き人の諷誦文を上げられて候。此方へ賜り候へ。
シテの前に子方を着座させると間狂言は縫箔をシテの前の床に延べます。これまでの一連の作業を間狂言は上記の短いシテの謡の間に完了しなければならないので大変です。こちら(シテ)も謡の速度を加減してあげないといけないですね。
この、シテの前に拡げられた縫箔ですが、ご存じの『葵上』と同じ感じになるのですが、面白いのは、ぬえの師家の形付けでは「葵上とは逆に置く」と書いてあるのです。
どういう事かというと、『葵上』では半身になるように拡げた縫箔は、頭(襟の方)をシテから見て右(=見所からは左)に置くのですが、『自然居士』では反対にシテの左側になるように置くのです。理由は不明ですが、あとでこの装束の前をワキが通るので、その邪魔にならないようにしたのか、あるいは これまた後でシテがこの縫箔をスカーフのように首に巻くのですが、間狂言が行うその作業の便のためでしょうか。
読経の最後に、自分の前に延べられた縫箔に目をやり、女児に尋ねます。
シテ「や。これは諷誦を御上げ候か。
間「なかなかの事これなる幼き人の。諷誦文を上げられて候。急いでご覧候へ。
間狂言は文をシテに渡すと橋掛リの狂言座につきます。シテはその文を開いて…
シテ「敬つて申し受くる諷誦のこと。三宝衆僧の御布施一裹。右志す所は。二親精霊頓証仏果の為。箕代衣一襲。三宝に供養し奉る。かの西天の貧女が。一衣を僧に供ぜしは。身の後の世の逆縁。今の貧女は親の為。
この地謡の間にシテは目立たぬように文を左後に捨てます。
シテは「謹み敬って白す」から合掌します。その前、「夕べの空の」と謡い出すと、すぐに子方が幕を揚げ橋掛リに登場します。子方は観世流の場合女児で、直面であるほかは唐織着流のシテやツレと同装で、左手には縫箔を肘に掛け、文を手にして登場します。文は両親の追善のための諷誦文(ふじゅもん=死者の追善供養のため施主が仏事の趣旨や供物の内容を述べて僧に読誦を請う文)で、縫箔は寄進する布施です。
…ところがこの子方、シテ方の流儀によっては男児なんですってね! 思うに、狂女物の能で親子が邂逅するストーリーの場合は、ほとんど男児です。『自然居士』は狂女物ではないけれども、四番目という曲籍は同じ。類型化の意識が働いてこうなったのでしょうか。ぬえは個人的には女児である方が、それを救出する自然居士の活躍が引き立つように思いますけれども…
子方が一之松の近くまで歩み出ると(シテが謡っているのにかぶせながら)間狂言が次のように言い、子方から文と縫箔を受け取ると、子方を連れてシテの前に行きます。
間「あらいたいけや。これなる幼き人の諷誦文を上げられて候。此方へ賜り候へ。
シテの前に子方を着座させると間狂言は縫箔をシテの前の床に延べます。これまでの一連の作業を間狂言は上記の短いシテの謡の間に完了しなければならないので大変です。こちら(シテ)も謡の速度を加減してあげないといけないですね。
この、シテの前に拡げられた縫箔ですが、ご存じの『葵上』と同じ感じになるのですが、面白いのは、ぬえの師家の形付けでは「葵上とは逆に置く」と書いてあるのです。
どういう事かというと、『葵上』では半身になるように拡げた縫箔は、頭(襟の方)をシテから見て右(=見所からは左)に置くのですが、『自然居士』では反対にシテの左側になるように置くのです。理由は不明ですが、あとでこの装束の前をワキが通るので、その邪魔にならないようにしたのか、あるいは これまた後でシテがこの縫箔をスカーフのように首に巻くのですが、間狂言が行うその作業の便のためでしょうか。
読経の最後に、自分の前に延べられた縫箔に目をやり、女児に尋ねます。
シテ「や。これは諷誦を御上げ候か。
間「なかなかの事これなる幼き人の。諷誦文を上げられて候。急いでご覧候へ。
間狂言は文をシテに渡すと橋掛リの狂言座につきます。シテはその文を開いて…
シテ「敬つて申し受くる諷誦のこと。三宝衆僧の御布施一裹。右志す所は。二親精霊頓証仏果の為。箕代衣一襲。三宝に供養し奉る。かの西天の貧女が。一衣を僧に供ぜしは。身の後の世の逆縁。今の貧女は親の為。
この地謡の間にシテは目立たぬように文を左後に捨てます。