見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

百姓は総合力?

2016-05-25 21:59:05 | 自然農業

 期待したほどではありませんでしたが、恵みの雨。
 というお野菜の苗植え付けとっては絶好ともいえる刹那、昨日買っておいたサツマイモの苗の植え付け作業。お隣さんからお茶に誘われ、お断りもできずに作業中断もありましたが(^^;;
 今年は、150本ほど植え付け予定。うち20本づつ40本は、共同作業を楽しむ方のもの。

総合力が問われる百姓?
 苗の植え付けを終え、気になっていたニンジンの間引きと草取り。
 雑草さんのお陰で、水やりはそこまで神経質にならずに済んだかもしれませんが、ほぼ雑草に隠れて葉っぱが徒長気味。さすがに負けてるんだろうなあって。ラッキョウの畝もそうなんだよね(^^;;
 6時まで必死の作業で、やっと2/3を終え、後は明日。間引く予定のルッコラは手付かず。
 気になるのは明日のお天気。会議もあるしなあ。百姓って、総合力が必要かも。


百姓は水商売
 さてさて、畑を見て回ると、「百姓は水商売」という言葉を実感!
 雨を得た今日の作物、昨日と様変わり。一気に成長するんですよね(と思えました)。
 一番それを感じたのはカボチャとえんどう豆。一気です、一気。団粒化が進んでいない僕の畑ですから、水やりの大切さが、えっ!ここまでかという感じ。
 団粒化までは、それなりの対策が必須なんだよな、です。

 あと、ズッキーニで驚き。3本ほど苗立てし、あと10本ほど直播。10日か2週間ほど違うはずなんですが、最初に花が来たのは後からおっとり刀で蒔いた直播の方。
 来年は、少々早く苗を作ったって、どうせ、という思いがあったのですが、確信に変わりました。来年は、基本直播。発芽しないのや早々に虫さんに食われたように補足的に苗立てかなあ。

炒った荏胡麻を種蒔き?
 もうひとつ、ちょっぴり恥ずかしいのですが、オクラと一緒に蒔いた荏胡麻が一向に発芽しません。オクラは、一昨日から双葉を開き始めているのに。
 それに比べて、一昨日蒔いた金ゴマが根っこを出し始めています(@@
 ひょっとして、食べるために買った荏胡麻を流用したのですが、確かこの袋だけ生だったはずなのに、これも炒ってあったのか!こんな間抜けもたまにはご愛敬。


 

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振り返ると点と点がつながる~第10回本とバルの日

2016-05-25 10:05:55 | 本や図書館

 やはり!若い人に聞いてほしいと思ってゲストスピーカーをお願いしましたが、考えていた以上に実りある語らいの場になりました。
 もちろん、プレゼンをお願いした3度目となるネパール訪問談も必聴のお話でした。

振り返ると点と点がつながる
 あっ、これは、第10回の本とバルの日でのこと。ゲストスピーカーは“宇宙の卵”会長の坂本さん。僕の3コ上です。
 のたれ死ぬつもりで行ったインドを皮切りに、世界50か国以上を歩いてきた方で、今でも、バックパッカー同然の旅を年3度も。
 彼女の話で、先日聞いたスティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業式での講演が思い浮かびました。
 「先を読んで点と点をつなぐことはできない。後から振り返って初めてできている」「心と直感に従ってきた」。坂本さんの人生の軌跡がまさにそうかもしれません。だから、聞いて欲しかった。

 出発4日前に誘われて行ったサイババに会う旅。
 朝2時くらいから人々が並び始めて4時開門。中に入ると、ランダムに列が何度か入れ替えられる。
 ここで、ふらっと列の前の方に割り込んだ女性がいた。割り込まれた後ろの女性が黙って列の最後尾に移動したが、次の並び替えで彼女が最前列になった。
 旅では、常に目的以外のことで深い学びがありました。さらりと仰ったこの一言、深い!

マイクロファイナンス
 右上の満面の笑みの女性、マイクロファイナンスでヤギを購入できた。彼女はこのヤギを増やし返済する予定。坂本さんは、種付けどうするんだろうって心配していましたが、、、
 銀行が、現場に出向いて融資を受けたい方のプレゼンを聞くのだとか。そして、5人一組。これ保証機能なんですね。返済率を高めるため?事業の支援も細やかだとか。
 ただ、低利と聞いた金利は、担保無し20%、担保有り18%。通常金利60%だから、低利か。

地獄の沙汰も金次第
 地獄の沙汰も金次第、って言葉が浮かぶような圧巻の写真。
 金額によって薪の量が違うが、燃え尽きるとレアだろうがミディアムだろうが、膝までくらいの深さの左の川に掃き下ろす。
 慣れないとかなりの臭いだそうですが、ステーキ屋の匂い?って聞くとそうでもないらしい。

 川では、牛や馬がその水を飲み、当然魚が泳ぎ、魚は人の腹に収まる。
 見事に自然の循環が成り立っている。これもまた妙かも。
 親族はというと、誰も涙を流す人はいない。賑やかなものだそうです。

 強烈な写真が多くありましたが、その中の一枚に行き倒れの人の写真。
 誰一人、駆け寄ろうともしないし、一瞥だにしない。
 死がここまで近いって?人の尊厳は?と思うのですが、一方では、絶えず死が隣にあることを意識して生きる社会の意味も深いなあと思ったり。 

コメント (2)
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