あの校長先生、生きていることが楽しいんだろうか?
先日、知人と学校を2校尋ねました。最初の学校を失礼し、顔を見合わせてそんな話をしました。
お陰で、次の学校を訪ねるまでの時間がたっぷり空いて、美味しいコーヒーが飲めましたけど。
次の学校では、校長先生だけではなく教頭先生も同席してくださり、たっぷり1時間余り、さまざまな話に広がりました。何より、どんなお話も喜々として聞き、話してくださいました。
最初の学校、この4月から校長先生が変わったとのことでしたが、保護者の皆さんも学校が面白くなくなった、などと話されているのだとか。よ~~くわかる気がします。
だって、まず、お願いに行ったことについて、考えてみようというスタンスは微塵もなく、まずは、できないであろう理由が並べられました。校長マターの話じゃないのに。これじゃあね。
ここで思ったのは、管理職の登用って何が基準になってんだろうと。
学校って、校長によって全く雰囲気が変わります。あっ、学校だけじゃないのは当然ですが、学校は人を育てるところですから、少なくとも、人が育つ阻害要因になるような人をトップににして欲しくない。
こういうトップの下にいると、いくら思いがあり、力のある教員でもその力が十分発揮できなくなり、子どもも思ったように育たなくなってしまう。何で、あんな校長が登用されるんでしょうね。
反省はしていますが・・・
反省してはいるんですが、昨夜、思わず毒を吐いてしまいました。
順番で、JAの集落委員になりましたが、昨夜は、その集落委員の津田地区委員会があり、僕の尊敬する先輩の指名で(根回しなし ^^;;)集落委員長なるものになってしまいました。
委員会は滞りなく終わり、後会がありましたが、その席で、日頃のJAに対する思いが口から流れ出し(^^;;
集落委員長なるもの、特に仕事があるわけではないようですから、別にスルーすればいいんですが~おっと、そんなことを言い出すと、意味のあいまいな集落委員って必要?ってなるんですが、、、
それは置いておいて、、、
産地形成にカチン(^^;;
敬愛する先輩は、一所懸命にJAくにびきを盛り立てようとしていらっしゃいました。
そのための手法は、産地形成です。ここにカチンと来てしまった(^^;;
そもそも農業は、経済化されたから後継者がなくなってきているんでは?農業は、経済ではなく、生命を支えるという視点で取り組まなきゃいけなんじゃないですか?何て持論が堰を切ったように・・・
青いんだよなあ。
そんなことが、この会議に顔を連ねている10人余の皆さんに通じるわけないんだよなあ(><
しかも、JA不要論まで。言い過ぎですね。
まあ、地道にしこしこ “going my way” と行きますか。
農作業が運動になるし、時間も取りにくい。
ということで、久しぶりのウォーキング。
朝、輝きの小路を歩いてきました。
いつものように、心が躍る時間。
しかも、新しい命の芽生え、新緑の中。
こんなに自己主張する新緑のもみじは、記憶にありません。
陽の光は、なぜこれほどまでに生命を輝かせてくれるのか、、、
闇の勢力と光の勢力、アナスタシアに書かれていましたが、競い合うことも意味があるかもしれません。
闇があるから光が一層輝ける・・・
桜の池では、ウシガエルが野太い声を響かせています。
こんな、光景があったのか!
新しい発見もいくつもありました。
初めて気づいた黄色の菖蒲、鮮烈な黄色です~写真では伝わりませんね(^^;;