この社会は、全て調和がとれているか否か?
持っている社会観、宇宙観でお互いに持論を展開。
さて、その結果は、、、
結果的には同じじゃないかと思えたのですが、今の社会を正すべきものとして否定的に捉え、変えるような動きをしていこうと考えている僕。
片や、人の幸せと相反するだろうと思える陰の面や反対の陽の面も含めて、人の意識がこの社会を作り上げているから、それは否定すべきものではなく、調和しているものとして感謝して受け入れる。
人の意識が変われば、調和している社会の姿も変わる、意識の変容にコミットしようとする相手。
禅問答のようなものかもしれないなあと思いましたが、決定的な違いが。
現在の社会や生活に感謝しているかどうか、否定的に捉えると感謝ではなくなる(^^;;
この違いは、物事を右脳的に捉えるか、左脳的に捉えるか、というところにもあるのかも。
先日、友人からお借りして読み始めた、日本の上古代民族の“サトリ”であるカタカムナの学会誌「相似象」(第9号 1979年刊)には、「現代人の脳細胞の多くは使われずに眠っているが、動物から脱皮して人類という種の許容量一杯まで、平衡を保って使われていたに違いない。だが、次第に必要性が見捨てられ、現代人の意識からその中心が抜け落ちたものと思われる。(大要)」とあります。
また、読み終わった「人はなぜ治るのか」の最後に、大方の意識は脳の情報をもとに大脳皮質で作られるが、プラシーボ効果がうまく働き、自らの治癒力が最大に発揮されて病気が治るという機序~人知を超えた力は、通常では引き出せない大脳皮質より深いところに起因する“心”の働きによる。
大要、そんなことが書かれていましたが、僕は、脳幹などをどう稼働させるか、そこがホシ何だろうと思いました。
これって、日本の上古代民族、「カタカムナ」の人たちの直観として物理したことなかな?
今の医療は、その“心”の働きを認めて積極的に使おうとしていませんね。
一方、最先端物理学の世界では、意識世界と現象世界との深い関係が証明されつつあり、多くの科学分野はそこに踏み込みつつあるようです。ふ~ん!?
上古代、カタカムナの人々がのこした僭象物理、何やらとても面白そうです。