“「まさか自分が…」年末年始に突然、路上生活を強いられる人々”というネット記事、現代ビジネスの配信ですが、凄まじいコメントの嵐。
明日は我が身、それがそこに見えそうなご時世を肌身で感じている故なんでしょうね。
松江に住んでいると、そこまでの切迫感を感じることができないのですが、ひょっとしたら、今の時期、交差点の連絡地下道で段ボールと毛布で過ごしている人はほぼないにしても、これだけ空き家が広がっていますから、ちゃっかり住みついている人もあるかもしれません。
いやあ、スゴイ時代だなあ。
それにしても、明日は我が身かもという切迫感を持ちながら都会に住み続ける意味は?
田舎の大都市・松江でさえ山ほどの空き家があり、同じく耕作放棄地も山ほどあるうえ、海にも山にも近く、その気になれば山海の恵みは無尽蔵とも思えるほどにあります。
自然の山海の恵みは、添加物や農薬・化学肥料の心配がない上、ミネラル分も豊富ですから、工夫次第でこれらの食べ物だけでも自給は可能かもしれませんし、耕作放棄地が借りれれば、お野菜もたっぷり。
家族7人、お野菜の自家消費分は完全自給、とまではいきませんが、百姓見習いの僕でさえ、例えば、今年の大豆は4~50キロは収穫できそうですので、味噌だけ作るのであれば、200キロものお味噌が出来上がることになりますから、作付け計画をきちんとすれば完全自給は〇です。
松江でさえこうですから、島根の隅々を見たら、もう、やたらめったらです。
という具合に日本の国土を眺めると、どこでも生活できそうなのに、なぜ、路上生活をしてまで都会や便利そうに見える生活に執着するのか?
僕から見れば、完全に目が曇っていると思えるのですが、そんなことさえ思い浮かばせない教育だったり、社会環境を整えているのは、経済最優先だと、国民の多くが田舎に移り住んでも困るからという国家戦略ですかねえ(^^;;
ついつい穿って見ちゃいますね。