輝くような新しい年、明けましておめでとうございます
抜けるような青空、素晴らしいお天気に恵まれた元朝でしたね。
きっと、平成が幕を閉じる新しい年に、大きな夢と希望をいっぱいに膨らませ、すがすがしい気持ちでいらっしゃることでしょう。
午前中、恒例の新年勤行会に参加してきました。
敷地の木々はほとんど葉を落としていましたが、枝に残った赤い実がとても印象的でした。
そして、枝先では怠ることなく春の準備が進んでいます。
朝まで生テレビ
除夜の鐘の後、ついつい3時前まで朝まで生テレビとともに過ごしてしまいました。
毎晩こんな時間はきついと思いながら、ついつい引き込まれたのは、そうか~~!があったからです。
平成の時代って、ずっと閉塞感があったように思ってきましたが、それは、若者や女性に対する社会の受け入れ方に端的に表れているんだ!
そんなこと聞いたことがない、誰がそんなことを言ってんの?でバッサリ。
私たちが正しい知識として受容している科学的なものって、この自然界のほんの一部なのに、見えないもの、知らないものを知らず知らず拒絶しようとしている。
振り返ってみれば、見えるものしか信じようとしない、自分もそうでした。
寛容さと身体
今、極端ともいえる自分だけ良ければのトランプイズムによって、世界的な閉塞感は一層深まっていますが、それは知らないことを拒絶しようとする姿にダブるのかもしれません。
今日の地元紙の論説は「寛容な時代にしたい」というものでした。
確かに、“寛容さ”が必須の時代かもしれませんね。
この問題意識や捉え方は、読み始めた中村明一の「『密息』で身体が変わる」も通底しているように思えます。
「戦争や経済復興の荒波をくぐり抜け、もっとも豊かな時代を謳歌しているはずの今日、なぜ私たちの社会は弱っているのか?これは身体からの警鐘でもあると思う」と書いています。
この新しい年は魂も身体も社会も、基底部から問い直す時代かもと思いながら、いけずご王国の活動は、その辺りに少しでもコミットしたいなあと。