<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

滑稽滑稽 爺さんが爺さんを笑う

2014年06月25日 15時44分25秒 | Weblog
「見ろ、あの人は見事な爺さんだ」といかにもいかにも爺さんらしい爺さんが言っている。温泉の中でのことである。湯船はその見事な爺さんであふれかえっている。歩き出すと腰がくの字に曲がっている。ここまで生きて来たのだから文句は言えないよ、と一人が言っている。昭和の初め生まれだと言う。するとそろそろ90才だ。わしはその2年後に生まれた、3年後だという声も掛かっている。長風呂をしている。露天風呂横のベンチに寝そべってもいる。腹がシワシワでそして垂れ下がっている。前の腹がそうなら後ろの背中も尻もそうで、垂れ落ちている。互いに、それを笑っているようでいて、その実笑えないというところがずばり滑稽だった。いや、温泉を楽しんでいる爺さん連中はとにかく暇を持て余して、そして元気なのだ。
温泉の脱衣所には、「紙オムツはここにいれてください」と書いた籠が置かれていた。
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儲けも損もない この無勘定は潔い

2014年06月25日 13時49分09秒 | Weblog
「ざまあみろい!」「いい気持ちだ」
「あんな大金持ちも、へん、死んでいくときゃ、なんにも持っていけねえと見えて、おいどうだ、やつは、おいらとおんなじに素っ裸だぜ」などとほざいて、下衆があかんべえをしている。
こんな芝居めいた台詞を待たなくても、われわれは死ねば誰もが横一列になって裸足で歩いて行く。振り出しに戻る。双六のようだ。

「あの人は偉い人だったからさすがだ、馬が用意されている」とか、「あの人は悪いことのしどうしだったから、足首に鎖を巻かれていて歩きにくそうだ」とかのハンデイはない。死は平等である。厳格に平等である。

みんな同じスタート地点から歩いて行くというところがいい。怠け者は、それで、なんだか得をしたように思える。生きている間に誠実な努力を積み重ねて相応の地歩を固めた人はそれだけのプラスαがあってもよさそうなものなのにそれがない。正直者は損をする譬えに近い。



三郎はここまで考えてきて、立ち止まった。夏空の青を見た。生きている間にこれほどたっぷりこの世の美しいものを見たのだから、見て楽しんだのだから、腹の足しにしたのだから、それで十分で、儲けも損もないはずである。そこから後は一律ゼロ査定でいいのだ。三郎はふっとそう思えてきた。それほどに、青い夏空は無勘定の色だった。

南瓜の花が咲いている。ほっかりほっかり咲いている。咲いたら花の房はぽとりと落下してあとに小さな実を遺している。落下してそれで文句を言っているふうには見えない。潔く潔い。その後にまだああしろこうしろを言わないですんでいる。それだけの充実でふくらみは頂点に達して、おしまいになっているのだ。
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駄文を何故書いているのか

2014年06月25日 11時37分39秒 | Weblog
書かないと書けない。一行も書けない。

あらたまって書こうとすると一行も書けない。

書いていないと書けない。粗末な文でも、よれよれの文でも、薄汚れた文でも、書けない。



書かせてもらうのだろうと思う。

だからいつでも書けるように、ペンを握って待っておかないといけないように思う。

ペンを投げておくと、だから、書けない。



生きている間のことである。書くのも、生きている間のことである。

死んでしまえば書けない。当たり前のことだが、そうである。

だから、生きているいま書いておかねばならないのである。



じゃ、何を書いておかねばならないか。

書いても書いても、それで書き終わったことにはならない。

書けなくなったとき、すなわち死んでしまった後に、読みに来るので書いておくのである。

ほかの誰でもない、わたしがわたしの書いたものを読みに来るのである。



書いておくとそこを根拠地にして思索ができるので、その拠点を建設するがために、書いておくのである。

落ち穂拾いのように、そこに貴重な宝物が落ちているのを拾うのである。

そこというのは、文章のあいまあいまに、である。

文章そのものが読むに値しないようなものでも、それでもそこに文章の「あいあまあいま」があるのである。

時間はあっというまもなく下流へ下流へと流れて去って行くので、そこに立ち止まったままにしておれないのである。



読みに来るのはわたしである。未来のわたしだったり、ときには過去を生きたわたしだったりもする。

そして、相槌を打ってくれる。

「うん、そうだ。その通りだ」とか、「そこはどうかなあ」などとあいまあいまにヒントを出してくれるのである。

するとそこに、たちまち虹が出る。

そことは大空である。見上げている大空である。

この大空にかかる虹が美しいのだ。



大空にかかる虹を見ているとなるほど自分は美しい時間を生きたという感慨に耽ることができるのである。



旅をしている間に、泰山朴を何度か見る機会があった。朴は大木になる。泰山のように堂々としている。そこへ白い花が咲いている。

つやつやした若葉に振っている光の明るさに負けないくらいの白い光を放って、朴が咲いている。

これを見るとやはり、ここは美しいところだったのだ、自分はうつくしい時間をいま生きているのだという感慨に掴まれるのである。

舟を繋ぐ綱をそこに架けて、しばらくの感慨に掴まるのである。
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私は私だった私の姿を 探しました

2014年06月25日 10時36分24秒 | Weblog
瀬戸内海の生口(いくち)島にある平山郁夫記念館に絵を見に行っていました。ここが画伯の生誕の地だそうです。お亡くなりになっておられる画伯の、弟さまから、入館時に30分ほど説明をしていただきました。

祇園精舎に集まっているお釈迦様のお弟子たちの絵がありました。「祇園精舎」というタイトルがつけられています。ここでお釈迦様がお弟子たちにご説法をしておられますが、そこは金色の色に光輝いているきりです。そのまわりを多くのお弟子たちが取り囲んでおられます。お弟子たちは黒いシルエットになっています。その後方には緑色の草地が広がっています。集まってきた比丘聚が歓喜に打ち震えながら身をかがめるようにして熱心に聞き入っています。これもシルエットです。

そのシルエットになっている比丘聚の一人、あるいはお弟子たちのうちの一人はわたしだったはずです。絵を見ながら、わたしはそのように思いたくてならなくなりました。お釈迦様の教えられるところを熱心に聞き入っている中に、わたしはわたしの姿を探しました。お釈迦さまに従っていることができる感動で、胸を潰しているわたしがいるはずです。わたしだったわたしは息を潜めるようにしてお釈迦様を打ち仰いでいます。尊い方を見つめています。

絵の中の、わたしだったわたしが、それからかれこれ2000年を過ぎてふたたびみたび人間になって生まれて来たわたしを迎えています。あの頃の胸の感動が蘇ってきてわたしの鼓動が高くなります。仏陀をお慕いする胸の思いが、火を付けられて燃え上がります。わたしだったわたしは、尊い方を仏陀と呼び、口元がずっと呼び続けています。

祇園精舎で仏陀を呼ぶ絵の中のわたしは、ひょいとこちら向きになります。そして今もなおも呼び続けて、ここへやって来たわたしに出会います。



旅から戻って来たわたしは庭に桔梗が咲き出しているのを発見しました。純白です。楚々としています。草丈は2m近くになっています。桔梗の頭上には夏空が広がっています。

わたしはまだ錯覚をしています。抜け切れていません。それどころか、桔梗の純白の姿にも仏陀を慕うお弟子たちのお姿が重なり合ってきます。お弟子たちと同じように彼らもまた、仏陀その人から正しい宇宙の法(ダンマ)を聞いてうっとりしています。どうやらここも祇園精舎のようです。



過ぎ去った時間なんかとうに消えてしまったと思うかも知れませんが、消えてしまわないのです。渦潮になって逆流をしてきます。少なくとも「祇園精舎」を見たわたしは2000年前に戻っています。過去も現在も未来も、海底を流れる海流のように流れ流れ、重なり合い重なり合い、溶け合って溶け合って、いちどきに同時進行をしているのかもしれません。
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