歎異抄にこうある。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」
*
阿弥陀如来が五劫の間(考えられもしないほどの長い時間をかけて)思惟なさった衆生救済の誓願は、考えてみれば、この悪人である親鸞一人を助けんがためであった。
*
阿弥陀如来の誓願が空疎であるはずはない。観念であるはずがない。
*
誓願はひたひたひたと打ち寄せているのである。わたしの足下にひたひたひたと打ち寄せているのである。大海の波になってわたしに打ち寄せているのである。
*
濡らしているのは弥陀の誓願である。これに濡れているのはわが足である。
*
わたしがこれで助からなければ阿弥陀如来の誓願は雲散する。
*
親鸞聖人はこれを「わたしのために」と受け止められたのである。
*
救済されるべきほかの悪人のためにではなく、わたしという悪人のために、五劫の長きにわたって願を起こされた。そのように真っ直ぐに我が身に受け止められたのだ。
*
滂沱の落涙であったことであろう。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」
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阿弥陀如来が五劫の間(考えられもしないほどの長い時間をかけて)思惟なさった衆生救済の誓願は、考えてみれば、この悪人である親鸞一人を助けんがためであった。
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阿弥陀如来の誓願が空疎であるはずはない。観念であるはずがない。
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誓願はひたひたひたと打ち寄せているのである。わたしの足下にひたひたひたと打ち寄せているのである。大海の波になってわたしに打ち寄せているのである。
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濡らしているのは弥陀の誓願である。これに濡れているのはわが足である。
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わたしがこれで助からなければ阿弥陀如来の誓願は雲散する。
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親鸞聖人はこれを「わたしのために」と受け止められたのである。
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救済されるべきほかの悪人のためにではなく、わたしという悪人のために、五劫の長きにわたって願を起こされた。そのように真っ直ぐに我が身に受け止められたのだ。
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滂沱の落涙であったことであろう。