<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ものを美しく見るのは術がいるのではないか

2014年06月05日 13時59分46秒 | Weblog
ものを美しく見るのは、術がいる。写真家の写真がそれを教えてくれる。美しいものは美しく見ようとしないでも美しいはずなのだが。美しく見てやろうというこちらの魂胆が働かないと最小限くらいで逃げられてしまうのである。

やはり工夫がいるのである。見る側に工夫がいるのである。誠意と言い換えてもいいのかも知れない。ひたむきな情熱と言い換えることもできるかも知れない。ぼんやりではいけないのだ。相手にこちらの本意が伝わっていかないと、いい加減にあしらわれてしまうのだろう。
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規律を教え込まれない朝顔は

2014年06月05日 13時23分35秒 | Weblog
朝顔がどんどん蔓を伸ばしてとうとう支柱を超えてしまった。行灯仕立てにはしていないので、横には広がらず縦に真っ直ぐ巻き上がっている。勢いはあるが、花芽は着けていない。

わたしは朝顔作りのど素人である。作り方も知らない。教えてもらってもその通りをやらない、面倒くさがって。怠惰な性格をしている。

随分と昔の話になるが、同じ職場のA先生は、その真反対で、朝顔作りクラブを結成して、夏の間、生徒たちに丁寧に指導をしておられた。毎朝、大輪の朝顔を次々と見事に咲かせておられた。夏休み中も登校してこられてせっせと水遣りと芽欠きをしておられた。土作りが大事だとも言っておられた。

わたしは苗を植えた後は、朝顔の自由にまかせておくので、わたしのそれは規律を教えられない少年のようにふてぶてしい態度を取って憚らなくなる。やがて蔓は四方八方に伸び放題になる。隣の木に高くよじ登る。これじゃ、朝顔を育てていますとはとても言えない。

朝顔に規律を教えた方がましか、自由に任せて自然児然としておくのがましか。問うまでもあるまい。規律を教えられた朝顔は規律を守って大輪を数個だけ咲かせる。粛々としている。愛されて愛されているという顔つきをして誇らしげになる。

朝顔にも調律が必要なのだということを思い知らされて、そこでこれまでのわが夏が終わっていた。調律は愛の証しだ。今年こそは<怠惰な主人が朝顔に勤勉を教え込む>ことに挑戦してみてはどうかと考えているところである。勤勉を教え込まれなければならないのは主人の方なのだが。
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