<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

雲が雲になったのは

2014年06月07日 11時23分13秒 | Weblog
雲がよろこんでいる

そういうのは二郎だ

雲はよろこんでいない

そういうのは三郎だ



雲が雲になったのは
よろこびの結果である

四郎はそう見た

雲が雲になったのは
かなしみの結果である

五郎はそう見た



こころが
二郎と三郎と
四郎を五郎を
動かした後は
雲はただ悠然としていた

それから
磐城平の方へと
風に流れて
流れて行った
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まだ自分のよろこびをよろこべないでいるのなら

2014年06月07日 11時14分34秒 | Weblog
雲がよろこんでいる

おまえ
雲のよろこびを
よろこんでいろ

まだまだ
自分のよろこびを
よろこべないでいるのなら

雲が
朝の光に光っていることを
よろこんでいるぞ
きらきらしてるぞ

朝の光は
おまえにも射して来て
きらきらと光っているぞ
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それは終止形ではなかった

2014年06月07日 10時52分14秒 | Weblog
仏陀になれというのは
仏陀の目で見ろ
ということであった

仏陀の目が見れば
今日の
わたしのくるしみもかなしみも
それで終止形をとってはいなかった

それを今日の原因として
明日の結果に繋げる因子であった
生成発展の生ける因子であった

わたしはくるしみを繰り返し
かなしみを繰り返してはいるが
この道はかならず
わたしのよろこびに
続いていく道であった

しだいしだいに
よろこびへよろこびへと
続いていく道であった

仏陀になるということは
この道を
一歩一歩 
歩んでいるということであった
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おまえ今日は何をよろこぶ

2014年06月07日 10時49分17秒 | Weblog
おまへ
今日は
何をよろこぶ


風がやんでおりますので
蕗の大きな葉っぱがおだやかです
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ここはよろこびの山の高く聳えるところ

2014年06月07日 10時31分03秒 | Weblog
よろこんでいいのに
よろこんでいないものが
たくあさんあります

あまりにも
たくさん残っているので
よろこびの山が
こんなにも高く高く聳えてしまいました

お前にその山が見えるのだな


眺めているばかりでございますが

お前がここを去って行くまで
そうしているのか

よろこんでいいことを
よろこばなかったことが悔いられますが
ここが
よろこびの山の聳えるところだということ
もっともっとよろこんでいていいということ
それを
わたしは知るようになっています

蔵王権現様
わたしは長い間この世の労働をしましたが
この収獲が大きいのです



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いまだにもって無駄をしている

2014年06月07日 10時17分01秒 | Weblog
わたしはもうすぐここを去ります。で、そうする準備をしています。

去って行くにはそうする準備がいるのか?

いいえ、準備をしないでも去って行けます。

では、お前はどんな準備をしているのだ?


ただいまは季節の燕を聞いています。

燕を聞くとどうなるのだ?


こころがよろこぶのです。

こころがよろこぶとどうなるのだ?

ふっくらするのです。

ふっくらとなったらどうなのだ?


軽くなるのです。
軽々となると飛べそうなのです。
向こう岸まで一気呵成に飛べそうなのです。

お前
自力でそこまで超えて行けると思うのだな


わたしを超えさせるのは他力です。
ほんとうにそうしてくれるのは他力です。

では、準備はいらないではないか?


その通りで。
いまだにもって
無駄をしているのであります。
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ねぶられてねぶられて

2014年06月07日 10時00分00秒 | Weblog
こんな夜中に泣いているお前は
誰だ?
いったい何者だ?


お婆に
ねぶられた人間です
ねぶられてねぶられて大きくなった人間です

お婆の名は?

おいち婆

おいち婆は
どうやっておまえをねぶるのだ?


猫が猫の子をねぶるように
孫っこのわたしの全身を
両手十指で舐め回して
ごそごそ掻き抱いて

で どうした?

お婆は死にました

わたしがお婆にねぶられたことが
ねぶったお婆の両手十指が
夜中にときおり
こうしてわたしを泣かせることがあるのです
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やっぱり獣のような顔をして

2014年06月07日 08時45分27秒 | Weblog
ふにゅう。

これはゴムの手鞠から一気に空気が抜ける音。ゴム手鞠を両手で押し潰すときにこの音が鳴る。



あなたを掻き抱くと途端にふにゅうの音がこぼれる。

空気が抜けたゴム手鞠は平べったくなってぴたりとわたしに重なってくる。

わたしが押し潰したというよりもむしろあなたの方で空気を一気に抜いたからに違いない。



そういう設定をしてみた。映画のワンシーンのような。

男の愛は、強引。相手の女性の空気を抜いてしまう。

締め付けられた方の女性が、むしろ、息苦しくなって空気を抜いてしまうのだろう。女性は脱力する。



ふたりはやっと無機質になることができる。

たがいは水になっている。空気になっている。鉱物の石になっている。



設定をした後、この短歌を書いた。

ふにゅうとふ音す微温のゴム手鞠 きみは空気を抜いて重なる



コクリコの花が赤い。花の咲く期間が長い。長いけれどももうまもなく枯れてしまう。それまでの華やぎである。



枯れてしまえば華やかな赤の色素も失われて、土色に変わる。そうなればいのちはそこで絶える。

コクリコに限らない。華やぎを見せる女性もこの流れを流れていく。やがて土色に同化する。

赤い花の女性だけとは限らない。女性の華やぎを見ていた男性にもこの変化は免れない。

土に帰るまでに、性を持ついのちは、それ故に、これに抗うようにしてたがいに愛し合わねばならない。



しかし、愛はどこにでもあるようで、実はそうでもない。

愛し合わないでいのちを終える男女の数も、現実では多いだろう。

そういう男は、あはれ、夢の中でやさしい愛を設定するしかない。



愛はなまくさい。鯖のようになまくさい。魚のはらわたのように生臭い。

愛のなまくささに耐えられない種類の人間もいる。

そういう人間は、それを避けて、逃れて、そうでない臭いを求めて、山野を走り回る。

しかし、やっぱり獣のような顔をして。
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