三郎は愚かだ。自分に言い聞かせて言い聞かせていなければ安心が崩れてしまうらしい、砂浜の砂の山のように。
*
方便法身とは、わたしの愚かさに合わせて登場していてくださる仏さまのことである。
*
仮に方便としてわたしの前に阿弥陀如来として現れてきてくださるので、わたしはこれを見て、わたしを救済する仏のお姿を目の当たりにし、そこで安心することができる。しかしそのお姿はあくまでも方便法身である。
*
お手を合わせないでもいいのである、ほんとうは。お手を合わせてもらっているので、わたしは合わせないでいてもいいのである。
*
仏さまと取引なんどすることは無用だったのである、わたしが安心をしていさえすれば。
*
ところがそうはいかない。わたしは親の姿を見ていない幼児のようにおろおろして不安がるのである。
*
不安がらなくともいいのである。わたしに仏さまの照準がぴたりと合っているので、わたしが息をしていられるのである。
*
息をしながら、まるで息をしていなかったような顔をして、息ができないような暗い顔をして、不安がるのである。
*
仏さまなど登場してもらわなくともよかったのである。わたしが愚かでなければわざわざ登場をしていただくことはなかったのである。
*
極重悪人唯称仏 ごくじゅう あくにん ゆい しょうぶつ
我亦在彼摂取中 が やく ざい ひ せっしゅ ちゅう
煩悩障眼雖不見 ぼんのう しょうげん すい ふけん
大悲無倦常照我 だいひ むけん じょう しょうが
わたしのような極めつきの悪人を仏さまがただただ手を合わせて祈っておられますので
わたしがまんまと仏さまのお救いのみ手の中にふんぞり返っておるという次第
それでもわたしの眼は、煩悩に覆われて仏さまを見ようともしておりませんが
それを百も承知で、仏さまの光が、わたしを捨てもせずずっとひたすら照らし続けています
*
仏などいるものか
へ
おられません
悪人のわたしひとりの
独り占めをしておりますので
そのほかに
仏さまなどはおられません
*
山は仏である
空は仏である
風は仏である
わたしを
よろこばそうよろこばそうとして
山になって
空になって
風になっておられる仏
*
方便法身とは、わたしの愚かさに合わせて登場していてくださる仏さまのことである。
*
仮に方便としてわたしの前に阿弥陀如来として現れてきてくださるので、わたしはこれを見て、わたしを救済する仏のお姿を目の当たりにし、そこで安心することができる。しかしそのお姿はあくまでも方便法身である。
*
お手を合わせないでもいいのである、ほんとうは。お手を合わせてもらっているので、わたしは合わせないでいてもいいのである。
*
仏さまと取引なんどすることは無用だったのである、わたしが安心をしていさえすれば。
*
ところがそうはいかない。わたしは親の姿を見ていない幼児のようにおろおろして不安がるのである。
*
不安がらなくともいいのである。わたしに仏さまの照準がぴたりと合っているので、わたしが息をしていられるのである。
*
息をしながら、まるで息をしていなかったような顔をして、息ができないような暗い顔をして、不安がるのである。
*
仏さまなど登場してもらわなくともよかったのである。わたしが愚かでなければわざわざ登場をしていただくことはなかったのである。
*
極重悪人唯称仏 ごくじゅう あくにん ゆい しょうぶつ
我亦在彼摂取中 が やく ざい ひ せっしゅ ちゅう
煩悩障眼雖不見 ぼんのう しょうげん すい ふけん
大悲無倦常照我 だいひ むけん じょう しょうが
わたしのような極めつきの悪人を仏さまがただただ手を合わせて祈っておられますので
わたしがまんまと仏さまのお救いのみ手の中にふんぞり返っておるという次第
それでもわたしの眼は、煩悩に覆われて仏さまを見ようともしておりませんが
それを百も承知で、仏さまの光が、わたしを捨てもせずずっとひたすら照らし続けています
*
仏などいるものか
へ
おられません
悪人のわたしひとりの
独り占めをしておりますので
そのほかに
仏さまなどはおられません
*
山は仏である
空は仏である
風は仏である
わたしを
よろこばそうよろこばそうとして
山になって
空になって
風になっておられる仏