<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

そんなことをしに来たのではない

2014年06月06日 14時50分35秒 | Weblog
そんなことをしに来たのではない
そんなことをしに来たのではないことぐらい
この男にもわかっているのだ

わざわざそんなことをしに
ここへ来るはずはないのだ
ここはそんなことをするための場所ではないのだ
そんなことをするときでもないのだ

ここへ来たのは
もっともっと大事な用があったからなのだ
もう今時分はその大事な用を済ませて
安堵の胸を撫で下ろしていたはずだったのだ

もうすぐこの男は
ここを去ろうとしている

夕日が雲を赤々と照らしている
男はそれを見ている

夕日は沈んでしまうまで
長々と照らしている
今度はこの男を真正面に据えて

ぼうぼうと燃えるような目で
山の端に残る光も
この男を包んでいる
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そうしていいのをそうしない男

2014年06月06日 13時40分30秒 | Weblog
よろこぶだけよろこんでいいのですよ
よろこぶだけよろこんでいいのですよ
よろこぶだけよろこんでいいのですよ

風が耳打ちする
何度も何度も何度も

よろこびは無制限ですからね
よろこびは無制限ですからね
よろこびは無制限ですからね

谷川が水音を立てて
ちょろちょろちょろちょろ執拗につぶやく

あなたもよろこんでくださいな
あなたもよろこんでくださいな
あなたもよろこんでくださいな

雲が相槌を打つようにして発話する
ずいぶんと大きな声だ
あまりの大声なので夕日があかあかとなる

そうしていいのをそうしない男が
難しい顔をして
松林の松の木の下に突っ立っている

何度告げられようと
この男はやっぱり憮然としたままなのだが
風や谷川や雲は
それに懲りたふうでもなく
相変わらず同じ調子でこの男に語りかけている
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なさるべきすべてがなされている

2014年06月06日 12時31分15秒 | Weblog
なさるようになさってくだすって
それでようございます
当方に不服はありません

男は空へ
ぺこんと頭を下げた

なさるべきすべてを
なさってくださっているので
彼の空はこの日も青空だった

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光がしたいだけをさせてやった

2014年06月06日 12時23分35秒 | Weblog
おれは光を浴びている

光を浴びているほどのおれを
おれは眺めている

ウツギの白い花の咲く六月の朝 
野に出て来ると
碧空の方からおれを名指しにして 
そうして
爆発光1000トンを
どどどっど浴びせてきた

何故だとおれは問う

すると光が
宇宙一杯におまへを
耀かせてやっているのだ
これがいい仕事になるのだ
とそう答える

おれはしばらく
光がしたいだけを
させてやって
すたこらと帰ってきた
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我なんて小さい小さい

2014年06月06日 09時15分58秒 | Weblog
自己肯定をしている自己がいます。自我といいます。これは自己主張もします。おれのものだを主張します。おれがいるぞとアピールをします。

そんなものはいないぞと自己否定をしてくるものがいます。無我といいます。心理学者で宗教論者です。空(くう)を説き出します。ややこしくなります。

あきたりないのです、自我では。無我もからんからんの乾燥をしていてひりひりします、喉のあたりが。おれだおれだ、おれのものだおれのものだ、おれが正しいおれは偉いおれは実力者だ、しょっちゅうそればかりを演説していたので少々疲れも有ります。

そこで新手が登壇してきました。超我といいます。ずいぶんとレベルアップしているようです。そうじゃない、そうじゃないと否定をしてきてやっと辿り着いた新手の自己肯定をする、おませな自己です。我なんて小さい小さいと言います。

超我は棒高跳びをしてバーを超えてきます。バーの高さは、しかし、どんどん上がります。たいへんです。

そのくせ、死んでしまえば未我(みが)になってしまいます。いや、そのまま覚醒をして解脱をする「われ」も出てきます。「非我」になります。こうなればしがらみを離れられます。

我というのは出世魚です。どんどん進化していきます。とどまるというのが嫌いなようです。いったいどこまで行くのでしょうかね。
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それはいいことなんだ

2014年06月06日 09時00分52秒 | Weblog
大好き。
大好き。
あなたが大好きよ。

ありがと。
でもどうして
そんなに大好きなの?

どうしてかしらね。

それはたぶん
あなたのせいよ。
あなたがわたしを
そうさせているのよ。

ふうん・・・。
ということは?

あなたがわたしを
好きになっているから。
だからでしょ。

大空の光の中で、
こんな他愛ない会話が
聞こえる。

ふたりは結局のところ
どっちも好きと好きなんだな。

なら
いいんだ。
それはいいことなんだ。
とってもいいことなんだ。
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赤ん坊には愛をふくませてあげます

2014年06月06日 08時05分56秒 | Weblog
赤ん坊は愛されていないと泣き出します。お母さんに愛されていないと泣き出します。愛はおっぱい以上です。

ごっくんごっくん音を立てて飲んでいるのはおっぱいなのですが、これはおっぱいの顔をした愛です。人間の愛です。神様の愛です。(神様に登場していただきましたが、これは人間を超える存在の意思を指しています)ここに存在しているものはすべて愛をゴックンゴックン飲んで育つのです。

それから、みんな愛というおっぱいを持っているお母さんをしています。たがいたがいにお母さんになっています。こうして泣いている赤ん坊には愛をふくませてあげます。(代わる代わる赤ん坊になったりお母さんになったりして、触れ合うのです。愛し合うのです)

赤ん坊は愛されてないと泣き出します。わたしも愛されてないと泣きだしてしまいます。いつまでたっても赤ん坊です。愛に触れていないとわたしはひかれびてしまいます。水を与えられなかった鉢植えのセキチクのように、萎れてからからに乾いて干からびます。

はい、わたしは愛されています。みんなに愛されています。この世のすべてに愛されています。そこにあるものすべてに愛されています。神様に愛されています。わたしを生かそうとするもの、わたしを守ろうとしているもの、わたしをいい方へいい方へみちびいているもの、その正体はすべてこの愛です。

わたしはみずみずしい植物です。太陽の光と風と水と、明るさとやさしさと、窒素と炭酸ガスと、人間の愛と神様の愛を飲んでいる赤ん坊です。わたしのまわりにはわたしを愛していてくれるものであふれています。わたしをよろこばそうとするもので混雑しています。

今日のわたしは上機嫌です。機嫌のいい赤ん坊です。雲雀が鳴いて来ます。歌を覚え始めた鶯も近くに来ています。コクリコが真っ赤です。風がそよろそよろ吹いて来て蕗の葉っぱをそよがせます。



ほおら、わたしがどうしてこんなに元気いっぱいなのか、あなたにもこれでもう納得がいったでしょ。
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わたしをよろこばそうとしている意思群

2014年06月06日 07時15分25秒 | Weblog
おはようさんです。真っ赤なダリアが咲きました。一面つややかな緑の絨毯に突如現れた噴火口のよう。はっとさせられます。草丈もどんどん伸びています。支柱を立ててやらないと倒れてしまいそうなくらいです。



ついついいつもの思考パターンをします。「ひとえに親鸞一人(いちにん)がためなりけり」と。この真っ赤なダリアはこのわたしひとりのためを思って咲いたのだ、と。そうではないかもしれません。わたしなんか眼中にはないのかもしれません。でも、わたしはそれを見たのです。そう思って見てしまったのです。



そうすると否応なしにダリアは確実にその役どころを演じることになったのです。わたしとダリアのこの相思相愛。熱烈な相思相愛。それがここで発現したのです。わたしをよろこばそうとして真っ赤な花弁を着けてわたしに迫ったダリア。それに応じてダリアの出現をこころからよろこんでいるわたし。



わたしのためだと受け取れば実にかたじけないのです。無意味にではなくそこに濃厚な意味があふれだして来るのです。わたしはダリアに遭ったのです。無視することなし、無視されることなしにわたしの眼中に収まって、そこにこころを持つことになったのです。



ダイアの真っ赤な花が咲いたのは、ひとえに「わたしを大切に思ってくれたからなのだ」と知ればそこに電流が流れ出します。電流はロボットだったわたしを動かします。そうであったのか、それを知らずにいた、それを今ようやくに知ることができた、という感情が生まれます。ありがたくなります。



自然のものに意思があるのか。あるように思います。そう思えば感涙します。そうすると、それまでのっぺらぼうだったわたしも、はっきりした意思を持ちます。たがいは相思相愛の状態にはいりこみます。相手の「存在愛」を覚えてしまうことになるのです。



そこに存在している自然界の、意思。わたしをよろこばそうとしている意思群。植物の意思、虫の意思、魚の意思、鳥の意思、動物の意思。鉱物の意思。それらを構成する諸元素の意思。



そこにいてわたしをよろこばそうとしている山の意思、川の意思、空の意思、雲の意思。風の意思。それを思ってわたしは嬉しがるのだ。わたしはよろこびの風の意思を受け取って、風車をからころからころ回し始めるのだ。



わたしがここに生まれて来たことを彼らはことごとに歓迎をして意思表示をする。そしてそこで、あなたをよろこばしたくなってわたしは真っ赤な花を着けていますと告白をしてくる。生きているただ今の時間をわたしが(無にしているのではなく)よろこんでいることを知って、彼らはほっと胸を撫で下ろす。



ここでもそこでも安心の顔をするのだ。行くところ行くところで安心の顔を見せてあらわれるのだ。
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