<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

死なずに、老後を生きているって、どういうことか?

2019年09月05日 15時32分36秒 | Weblog

おはようおはようございます。もうすぐ午前6時になります。外は明るくなっています。雨は降っていないようです。

午前1時過ぎにはもう目が覚めてしまいました。それから眠られずに、悶々として過ごしていました。あれこれのことを思って、わざわざ悩みを深めました。愚かなことです。

老後を生きているって、どういうことか。どうやって生きていればいいのか。生きるに値することをしているか。死なないで生きている者は、死なずにいることをどういうっふうに尊重すべきか。どうやって死を迎えるのか。死ぬのを待っている間に、いったい何をしたらいいのか。漫然としているだけでもいいのか。それ以上の暮らしができるのか。積極果敢に生きて、日々の暮らしを充実させている老人だってたくさんいるはず。なのにわたしは何故どれに同調していないのか。わたしの怠けもの主義は許容されるのか。などなどなどなど。4最年下の我が弟は4年前にはなくなっていて、老後を生きていません。

あれこれ考え出すと、我が身の無充実ぶりが悲しくなります。それでそれを回避するために、音楽を聴いています。YouTubeで。これで悲しみを幾分か軽くして、癒してくれます。この世に音の楽しみである「音楽」があってよかったです。

障子戸でも開けましょう。夜明けの風を迎え入れましょうね。

 

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あ、神鳴りさんが鳴り出した ごろごろごろろ

2019年09月05日 15時26分35秒 | Weblog

あ、神鳴りさんが鳴りだした。ごろごろごろ、トロッコ列車を押して行く。

お、雨だ。雨も降り出した。バラリバラリだけど。風もある。苦瓜の藪が騒いでいる。

体育祭は中止だぞ。神鳴りさんにでも落ちてこられたら、タイヘンことになるぞ。

この引き籠もりの老爺だけは、いつも安全地帯にいる。すまないなあ。

 

 

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わたしはいつも独り寝だ、365日変わらず。

2019年09月05日 15時18分01秒 | Weblog

4☆

(余談)

わたしもいつも独り寝だ。365日、独り寝だ。窓の外の山が寒かろうと暑かろうと、死ぬまで独り寝だろう。渡って行くところもない。歌に詠んで、お出でお出でをしてくれる人もいない。現実のわたしは醜悪な老人である。非現実の歌の中でなら、肌あたたかき添い寝も可能かも知れない。

(余談のそのまた余談)

外国の映画を見ていると、夫婦は大抵いつも一つのベッドを共有して夜を過ごしているが、ほんとうだろうかね。蒸し暑かろう。寝返りも打てまい。(無用な心配か?)

あ、僕の有人も、そういえばそう、結婚してから一度も一人寝をしたことがない、365日、一つの布団で寝ている、と言っていた。ええええっ、だった。

 

 

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背景にある諸事情を無視して読んでみる

2019年09月05日 15時14分56秒 | Weblog

3☆

背景にある諸事情を無視して読んでみる。

万葉集の歌は通わせるレター。実効性がある。

天皇が行幸された吉野の山のあたりに風が吹き上がっていて、さもさも寒そうだが、天皇はお一人では寝ておられまい。寒そうにして今宵を一人寝ているのはこのわたしだけのようだ。歌にこうして詠んでみても、とてもこの寒さ、あの方はお渡りになられまい。

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作者不詳だが、歌の作者はこれは女性なのではないか

2019年09月05日 15時11分16秒 | Weblog

2☆

作者不詳とあるが、わたしはこれは女性のような気がする。愛しい我が背子が、己の寝所に通ってこない女性か。

作者はどうやら文武天皇が吉野に行幸されたときに、一行に付き従って来た人らしい。文武天皇は律令国家確立期の天皇。母は元明天皇。大宝律令を制定した。

吉野山は奈良県南部、吉野川の流域にある桜の名所。平安初期から修験道の根拠地であった。

「あらし」は、山の急斜面の意味もある。「嵐」は、山に立ち籠めるもや、或いは山の気配。荒く激しく吹く風。暴風雨。

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独り寝の寂しい者はこの旨酒を飲むべし 万葉集という旨酒を

2019年09月05日 14時11分32秒 | Weblog

万葉集の歌という旨酒に酔い痴れていると、この老人はここちよい。しばらく心地よくして過ごすことが出来る。独り寝の寂しいものはこの旨酒を飲むべし。

み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜(こよい)も我がひとり寝む     作者不詳  万葉集巻の1の74

「はたや」は「将たや」。「もしや」「あるいは」。「はたやはた」と続けると強調されて「ひょっとして」となる。

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歌の中心部に、一人の女性が実名でいるというだけで、

2019年09月05日 14時07分24秒 | Weblog

しかし、此の歌のほんとうの良さは、わたしには分からない。

こんなにも楽々と恋する人の名が和歌の中に挟まれていいのだろうか、とも思うが、据わりも良く、且つ居心地がいいようだ。

歌の中心部に美しい女性がいると言うだけで、打ち続く松原の景色も鮮やかな恋い色に染められてくるようだから、フシギ。

 

 

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見ても見ても見飽きることがないのは松原の景色?

2019年09月05日 14時04分46秒 | Weblog

4☆

「あられうつ」は「霰打つ」だろうか。それとも、次の「安良礼」とよく似た発音のことばを飾りとしたのだろうか。織物、染め物の文様も「霰」というし、石畳の「霰」ということがある。砂浜の沙を霰と見てもいいかもしれぬ。

5☆

見れど飽かぬかも。見ても見ても見飽きることがないなあという詠嘆で結ばれている。いや、いつまでも美しい女性の傍にいたいのである。時の権力者の第4皇子からこう歌に詠まれて披露されたら、脚光を浴びたこの若く美しい女性の頬は、それこそ仄かな桜の色に染まっていたことだろうよ。

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弟日姫は、人に推挙されて皇子の傍に上がったのであろう

2019年09月05日 14時02分49秒 | Weblog

3☆

長皇子(ながのみこ)は天武天皇の第4皇子。安良礼(あられ)は地名。摂津国の住吉海岸にある。そこに白砂青松の松原が長く続いていたのだろう。

若く美しい弟日姫(おとひひめ)といっしょに列んで見ている松原の景色が中心に据えられているが、皇子の関心はむしろ弟日姫にあるに違いない。皇太子といっしょに座している女性であるから、人に推挙されてここに来た女性だろう。

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長皇子(ながのみこ)の、万葉集の歌を読む 

2019年09月05日 13時23分05秒 | Weblog

あられうつ安良礼(あられ)松原 住吉(すみのえ)の弟日姫(おとひおとめ)と見れど飽かぬかも      長皇子(ながのみこ)  万葉集巻の1の65

2☆

万葉集の歌を、こうしてひもどくだけで、こころが踊る。勝手な嘘推量をして、こころが踊る。嘘推量は無責任かもしれぬが。ま、まま、読者諸氏もそれぞれ独自の読みをなさって楽しまれたらよかろう。

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