<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

やっぱり外に出た。種蒔きをした。

2019年09月08日 19時52分59秒 | Weblog

やっぱり外に出た。種蒔きをした、秋野菜の。深い大きなプランナー数個に。夕方なのに、暑くて暑くて、汗だくになった。それから、水撒きをした。これまでに蒔いて、もう発芽している沢山のプランターに。日没になった、日暮れが早くなっている。

 

汗だく汗だくになった。すぐに、シャワーを浴びた。スッキリした。こんなことでよかったんだ。充足している。

ここまでは昨日書いていた。どうしてだか、今日まで残っている。
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やっぱり外に出た。種蒔きをした。

2019年09月08日 19時52分59秒 | Weblog

やっぱり外に出た。種蒔きをした、秋野菜の。深い大きなプランナー数個に。夕方なのに、暑くて暑くて、汗だくになった。それから、水撒きをした。これまでに蒔いて、もう発芽している沢山のプランターに。日没になった、日暮れが早くなっている。

 

汗だく汗だくになった。すぐに、シャワーを浴びた。スッキリした。こんなことでよかったんだ。充足している。

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日も翳って来た。もういいだろう、外へ出て行っても。

2019年09月08日 17時32分28秒 | Weblog
午後4時。お能を見終わって外に出た。車の気温計は38度を指していた。動き出したら1度下がった。暑い暑い。もちろん冷房をして走った。車の気温計は、車の外の気温だ。山里の我が家に帰って来たときには35度になっていた。それでも暑い。帰宅したら外に出るつもりだったが、ためらった。
5時半を回った。日も翳って来た。もういいだろう。外に出てみようか。プランターに種蒔きをした白菜の種が発芽している。水撒きをしてやらないといけない。一日暑い日射しを受け続けて、萎れている。
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千代田のハンギーホールに来ています。

2019年09月08日 12時44分21秒 | Weblog

千代田のハンギーホールに来ています。これからお能を見ます。多久島法子さんの、弱法師が演じられます。さあ、わたしに、分かるでしょうか?

寝てしまわないといいのですが。

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もう寂しくなんかないだろうなあ

2019年09月08日 11時37分19秒 | Weblog
彼仏国土 常作天楽     仏説阿弥陀経より
ひぶつこくど じょうさてんがく
彼の仏の国土は、常に天の楽(がく)を作(な)せり。
仏さまの建設された極楽の浄土には、いつも音楽の天空があって、美しく鳴り響いています。
聞いて見たいなあ。癒されていたいなあ。仏さまを讃えての美しい音楽なのだろうが、わたしもそれを聴いていたいなあ。
もう寂しくなんかないだろうなあ。
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どうしようもないときには、

2019年09月08日 11時31分25秒 | Weblog
どうしようもないなあ。

じたばたするとするだけ、穴を掘ってしまう。

どうしようもないときには、どうもしないことが最上策なんだろうなあ。


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感情は、贅沢を欲しがる獣だ

2019年09月08日 11時21分24秒 | Weblog
なんちゃってかんちゃって、さぶろうは寂しいのである。
感じすぎて寂しいのか、なんにも感じないで寂しいのか。ぽあんぽあんして寂しい。

ともかく寂しくないところに、日の光が射し込んでいる部屋に来ていたい。あたたまっていたい。

感情は贅沢を欲しがる獣だ。寂しがるのも贅沢であり、そこから抜け出して行こうとして奔走するのも、贅沢欲しがりである。

欲しがる欲しがる。
欲しがらなくて寂しいし、欲しがってまた寂しい。
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これだと仲違いをするだけだ

2019年09月08日 11時16分40秒 | Weblog
9月8日。おれは、その「感動の食事」を魂に用意してやっていない。

「自分で探してきたらどうだ?」というふうに、魂を野良猫扱いにしている。これだと仲違いをするだけだ。

草藪のところまで歩いて行って、しばらく虫の音を聞かせてやる。虫が、チーチーチーと鳴いている。
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魂は飢餓状態にいる。食事をねだる。

2019年09月08日 11時14分22秒 | Weblog
幸福を感じていたい。今現在で感じていたい。
不感症を得意にしても、それは自慢にはならない。少しでも幸福のパンを囓って、飢えを癒していたいとも思う。

己の精神を住居にしている魂は、日常、多くは飢餓状態なのだ。空腹なのだ。「おれに感動の食事を用意してくれ」と、ねだる。これに応じないでいられるわけがない。

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寂しいのも厄介だ。深い穴に落ちて空虚になる。

2019年09月08日 11時11分09秒 | Weblog
安堵も安心も落ち着きも、感官のなすところである。
安堵したいと思う。安心を得たいと思う。落ち着いてぐらぐら揺れないでいたいとも思う。
一日に何度も安堵のギアを入れる。ちょこちょこ安堵して温まっていたいと思う。それが失敗すると、途端に寂しさに襲われる。
寂しいのも厄介だ。なかなか厄介だ。深い穴に落ちて空虚になる。

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