<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今夜は明月。ああ、キレイだ。

2019年09月11日 21時07分21秒 | Weblog

今夜は明月。8時、露天風呂から、月を仰いだ。ああ、キレイ、ああ、キレイを繰り返した。

明月が、人を、うるわしくする。人は、明月によって、うるわしくさせられる。

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昼間、葛の花が咲いているのを、見た。

2019年09月11日 20時57分09秒 | Weblog

昼間、葛の花が咲いてた。赤紫の。小さな花房が桜の木をよじ登った、梢に、かたまって。見た見た見た、それを。

葛の花は、夏の花。でも、九月になって初めて見た。

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クレヨン水彩画を描いて遊んだ

2019年09月11日 18時05分11秒 | Weblog

日が暮れて行く。山々が影を濃くして行く。6時を過ぎた。僕の足が踏んでいる地球の一ヶ所は、静かに一日を終わる。

僕はクレヨン水彩画をして遊んでた。うまく描けないので、やや不機嫌になっているところ。

も、やあめた!

不機嫌になるくらいなら、遊びとは言えないぞ。

後は、真夜中に回そう。どうせ、寝付けないだろうから。

湯を浴びて来よう。そのあとは、夕食🌃🍴だ。

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木は足をつけていない。頭脳もない。

2019年09月11日 14時50分47秒 | Weblog

木は足をつけていない。だが、深い根を生やしている。

人は、足を二本交互に動かして歩くが、根を生やさない。

木は枝を延ばすが、人には枝がない。代わりに腕がある。

人は、一人一人、頭脳を頭に置いて、生命活動全体を監視しているが、木は、そういうことをしない。それでも生きられる。爽やかに生きられる。

人は、口を開いて、お喋りするが、木はお喋りをしない。

木は文句を言うが、木は不満すら表現しない。

違いがある。違いはあってもいい。

木が頭脳を内臓していないのは、宇宙頭脳をマザーコンピューターにしているからである。そこに接続していればすむことだからである。

草も持たない。

小鳥の頭が小さくてすんでいるのも、同じ理由からである。

だから、重たい頭脳でなくとも、賢くしていられるのである。

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お昼は皿うどんを食べた。

2019年09月11日 13時00分37秒 | Weblog

ふうん、外の気温は28度あるらしい。九月、山の上の雲仙温泉でこうだ。

お昼は皿うどんを食べた。生ビールも飲んだ。分不相応に。働いて金儲けもしていないくせに。一人前を気取って。

昼御飯の前に、硫黄温泉に入った。露天風呂ではない方に。やはり、白濁している。温度が少しだけ低い。

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一人ハーモニカコンサートをしたよ。

2019年09月11日 11時54分41秒 | Weblog

だあれもいない。だあれもいないから、ハーモニカコンサートをしたよ。ひとりコンサート。寂しいから。ハーモニカコンサートをして、慰められるくらいだから、軽症だよ。それも終わり。空が聴いててくれたかもしれない。空も聴いてくれなかったかもしれない。

もう正午。一階の食堂へ行って、腹ごしらえしようかな。腹は空いているのかな?

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口寂しいから、葡萄を頬張る

2019年09月11日 11時10分58秒 | Weblog

口寂しいから、葡萄を頬張る。宿に、巨峰葡萄一房200円を持ち込んだ。宿の冷蔵庫で冷やしておいたから、冷たくておいしい。

宿に着いてから、三日目になるが、その間、綴じ込もっているきりで、玄関より先、外に出ていない。露天風呂まではサイサイ出て行ったのだが。 

網戸にしていれば、冷房はいらないから、此処はやはり山の上である。凌ぎやすい。下界は暑いだろう、まだまだ。

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自然界はいつも神を語っている

2019年09月11日 10時49分22秒 | Weblog

フィーヨルドに牧師はいらない。フィーヨルドが神を語るから。

フィンランドのことわざ、らしい、これは。

そうか、そうなのか。牧師は神を語る。神を語るフィーヨルドが、ここでは牧師なのだ。

自然界はいつも神を語っている。いつでも、何処にあっても。耳を傾けさえすれば、神の言葉が聞こえて来る。

仏教でも同じことを言っているようだ。

あとは、各人の耳の聴力次第か。目の視力次第か。

それで安らぎ落ち着き癒されているのなら、神を聞いたことになるだろう。仏を見たことになるだろう。

標高1000m級の雲仙岳の連山の上に、白い雲が湧き上がっている。間間に青空の湖が光を跳ねている。僕は、宿の5階の部屋の窓からそれを一人で仰いでいる。

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この男を癒せるのは、風だけになりました。

2019年09月11日 10時07分30秒 | Weblog
なんのかんのと言うけれど、うだつの上がらない男なのです、その男は。なりふり、一人前を装おっていますが、装いです。実が伴っていません。あぶれ者です。除外しておいた方がいいのです。回りがそれで、楽になります。

はっきり言えば、ダメ男です。役立たずで、使いまえがありません。

この男は、ふらり出て行きます。とうに見放されている男です。

この男を癒せるのは風だけになりました。この男と呼吸を合わせてくれるのは、風だけです。秋風が彼を吹いて行き過ぎます。そして、薄の穂を吹いて行きます。
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待たれて、待たれて、待たれている人。そうでない人。

2019年09月11日 09時43分13秒 | Weblog

待たれて、待たれて、待たれている人は、どんなにかよかろう。

その逆に、厭われて厭われて厭われている人もある。だから、待たれてはいない。本人にもそれが十分に分かっている。嫌われていることが分かっている。彼の方に罪があるのだから、それをどうすることもできない。彼は旅に出るしかない。漂泊するしかない。

追い出される前に、こちらから出奔するのだ。

そういう立場にある人も多かろう。多かろう。世は苦界である。

待たれて、待っている間柄はいい。崩れると無惨だ。

 

出奔したが最後、なかなか帰れない。あはれ。

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