昼風呂っていうのかなあ?
ビールがおいしくなるために、露天風呂硫黄泉に浸かって来たよ。
一階のレストランで食事。瓦うどん。そして生ビールの贅沢をする。
午後からはクレヨン水彩画を描こうかな。
昼風呂っていうのかなあ?
ビールがおいしくなるために、露天風呂硫黄泉に浸かって来たよ。
一階のレストランで食事。瓦うどん。そして生ビールの贅沢をする。
午後からはクレヨン水彩画を描こうかな。
高秋九月、天気清。我はこれ物外無事の僧、君もまた昇平の一閑人。終日相見えて、他事なし。
良寛禅師の詩の一部です、これは。
こうしゅう、くがつ、てんのきは、きよし。われはこれ、もつがいぶじの、そう。きみもまた、しょうへいの、いち、かんじん。しゅうじつ、あいまみえて、たじなし。
⭐
空を高くしている秋。秋らしい九月の今日。天上の気が清々しい。わたしは世事の外にいて事なしを決め込んでいる一介の貧乏僧。という君も、世を太平に見なして、拵えた閑を弄ぶ閑人。二人がこうして会っているが、おい、なんてこともないなあ。すっからかんのかんだなあ。万事わだかまりがない。見上げる山が笑ってらあ。
⭐
これはわたしの解釈です。良寛禅師の心情に歩み入れられるはずはないのですから、あくまでも傍観です。
でも、清んでいるなあ、まった澄んでいるなあ、良寛禅師の詩は。
こころなきものにもあるか白雪は君が来る日に降るべきものか
天保元年1830年、良寛禅師の病が重くなっている12月25日、弟の由之がはるばる訪ねて来ます。与板から、雪の舞う塩ねり峠を越えて。禅師が示寂される10日前のことです。5歳違いの弟です。長く会っていません。弟は、本家の庄屋の没落の憂き目を見て苦労を重ねています。
⭐
降り積もる白雪を恨んで歌っているのではありません。出逢いを荘厳してくれているのです。雪にもこころを見ています。待っていたのです。弟が訪ねて来てくれる日を待っていたのです。弟を呼び寄せて来たのは雪です。雪にシンボライズされています。仏様のお慈悲が雪になっているのです。彼は禅者です。仏の教えを聞いている者です。
こころを聞いて聞いて、良寛禅師はそれからまもなく示寂されました。涅槃寂静を我が身に示して行かれました。
朝湯が済めば、朝御飯。有り難い。贅沢三昧。でも、バイキング料理は、面倒くさい。
杖を片方についているから、おかずが取りずらいし。杖をつかなければ、倒れる心配があるし。
みなさん、カップルが多い。爺一人は僕くらい。ま、いいか。のんびりすればいいんだから。
真夜中の3時を過ぎている。目が覚めてしまった。一人で寝たから、一人。雲仙温泉の宿は山の中。静かだ。気温は低い。肌寒い。時間が止まってしまっている。
いい夢を見てた。若い頃の。仕事に情熱を注いでいた頃の。その時に出会った人たちが登場して来た。沢山の人に囲まれていた。僕はその先頭を走ってた。ひどく懐かしかった。静かな感動に浸っている。ああ、あんな時代もあったんだ!
今はその集団から離れてぽつんと一人。
もう一度目をつむろう。夜明けまでにはまだ数時間ある。