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時に諸々の梵天王、一心に声を同じくして、偈頌(げじゅ)を以て曰く、唯(ただ)願わくば天・人の尊よ、無上の法輪を転じて、大法の鼓(つづみ)を撃ち、大法の螺(ら)を吹いて、普(あまね)く大法の雨を雨(ふ)らせて、無量の衆生を度したまへ。我等、咸(みな)帰請(きしょう)したてまつる。当(まさ)に深遠(じんのん)の音(みこえ)を演(の)べたまふべし。
法華経 化城諭品巻7より
2
法華経を開いて化城諭品第7の巻を読んでいます。ここを読むとわたしは気持ちが晴れ晴れとなります。魔法に掛かってしまいます。
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梵天王が登場されてきます。それも一人や二人ではありません。彼らの前には大通智勝(だいつうちしょう)如来がおられます。「天人」は天界の天人と人間界の人を指しています。「尊」は尊ぶべき方、つまりここでは如来様を指しています。
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梵天王たちが大通智勝如来に、悟られた法をわたしたちに説いて下さいとお願いしている場面です。「転法輪」の場面です。
しかししかししかし、わたしは時間を縮めて、お願いする前の状況設定であるとするよりは、その後の場面として、ここを読んでみました。
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感動した天地四方が大法の鼓を高らかに打ち鳴らし、法螺貝を吹き、法雨を降らせます。これによって無量の衆生が救済されて行きます。仏がいよいよ悟られた法を説かれます。
「大法螺(おおぼら)を吹く」の語源が此処にあります。
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わたしたちはみな仏様に帰命しています。お願いが聞き届けられましたので、いま奥深いお悟りの法を聞かせて頂きました。わたしたちは歓喜の頂点に達しております。
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お願いの場面を通り越して願いが成就した場面として解釈しました。ここの解釈はいささか急ぎすぎかもしれませんが、わたしはそれではまだろっこくて、いきなり過去形で受け取ってみました。
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無量の衆生が済度された場面として解釈してみました。そして歓喜に浸っています。地上に生きる者すべてが安心を得た場面としての風景を描いて、歓喜に浸っています。
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法華経にはたくさんの仏様、如来様が登場されてきます。この宇宙が何度も何度も誕生し消滅する間に、ガンジス川の砂ほどの多くが仏に成られたのでした。大通智勝如来もその一人です。
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大法を説かれる仏様の輝き渡ったお顔と、それを聞いてよろこぶ人たちの輝き渡るお顔が浮かんできました。輝きと輝きが交錯する場面です。
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そんなことがあるものか、とする見方もありますが、わたしは「それはあった」として読んでいます。そしてその事実がこのわたしにまで届いているという受け取りをしています。