いい詩に辿り着きたいのです。いい詩を書きたいのです。
ブログをたくさん書いていますが、書いている内にいい詩に辿り着けるんじゃないかと期待をしています。
でも今日はまだ辿り着けていません。
詩が、反対方向へ、遠くへ遠くへ遠離って行っているようにも思います。
いい詩に辿り着きたいのです。いい詩を書きたいのです。
ブログをたくさん書いていますが、書いている内にいい詩に辿り着けるんじゃないかと期待をしています。
でも今日はまだ辿り着けていません。
詩が、反対方向へ、遠くへ遠くへ遠離って行っているようにも思います。
小川洋子さんの随筆集「遠慮深いうたた寝」を読んでいます。小川洋子さんのリトルファンです。公民館図書館から借りてきた本です。文字が小さいので読むのに苦労していますが、楽しんでいます。小説家は文章屋さん。いい文章が列んでいます。読み進めていくほどに満足を覚えています。
我が家の畑の大根はおいしい。青首大根も白首大根もどちらもおいしい。
さっき、台所に行って、大根の刺身を作ってきました。今晩これを頂きます。
やや厚めに皮を剥いて、包丁で細い棒状に切って来ました。これをお皿に列べました。
醤油、酢、胡麻、マヨネーズなどをかけることもありますが、なんにもかけなくてそのままでも十分においしいです。
甘くてみずみずしいです。わたしはおいしいおいしいと言って食べます。ほんとうにおいしいからです。
畑の大根を掘って来てすぐに食べるからおいしいのかもしれません。
今年が一番、大根を美味しく感じています。
それは呼び名の違いである。わたしはそう思っている。
わたしを守り導いている存在が幾つも分かれているはずはない。全体で一体である。
宗教はさまざまだが、わたしは同一の全体存在によって守り導かれている。そう思っている。
*
わたしは浄土真宗の経典も真言宗の経典も法華宗の経典も禅宗の経典も読む。違和感は感じていない。キリスト教の聖書も読む。それでも違和感を感じていない。
*
大いなる全体者によってわたしは守られている。わたしは導かれている。そこで完結しているからである。
1
無限の祝福の門がこれを信じるすべての人に開かれている。わたしたちはみな祝福されている者であり、守られた者であり、癒やしを受けている者だからである。
2
そういうことを書いた英文を見つけた。そういう英文に出逢えたことが嬉しくなった。
3
「それを信じるすべての者に」とある。門が開かれているということを信じた人に、祝福の門が開かれているということだろうか。門が、信じる人の内側にあるからだろう、きっと。こころの内側でしかこれを体験できないからであろう。
4
わたしたちはみな祝福をされている者である。キリスト教の信仰のようだが、キリスト教信仰者に限られていることではないはずである。
5
いまは雪が止んでいる。静かだ。わたしたちは守られた者である。それを噛みしめる。
1
欲深です、このお爺さんは。
2
褒められて生きていたいのです。
3
天の神さまに。
4
「お前さん、いい一日を生きたね」って褒められたいのです。
5
で、にっこりしたいのです。
6
年を取ってるくせに、欲深だなあと思います。
*
7
どうすればその「いい一日」になれるのか。
8
どうすれば「いい一日を送った」ことになるのか、自分ではよく分かっていません。
9
だから、天の神さまにこれを委ねるしかありません。
*
10
わははわはは。でも、高を括っているのです。
11
天の神さまは位の高い神さまだから、けっして悪口は言われません。褒め上手に決まっています。
12
だから、「すべてよし」としか言われないはずなのです。
13
「お前がいい一日だったと思えたのなら、それがいい一日なのだよ」と寛大なはずなのです。
14
寛大な天の神さまが、「よろしい」「朝早く起きれたから」と言って、グウの手を突き出して、にっこりされます。
15
ああ、特別なことをしなくても良かったんだ、とわたしは胸を撫で下ろします。
1
甘い串団子を食べました、3時のお八つに。コーヒーといっしょに味わいました。
2
といっても、串の4つのうちの2個だけ。白餡子と黒餡子1個ずつ。それでもう十分だった、甘くて甘くて。
3
休憩タイムでした。なんにもしていないのに。働いてなんかいないのに。役に立つことなんてしてないのに。休憩だけ一人前に。
4
あ! でも、午前中一つだけ役に立つことをしました。
5
白菜の酢漬けをするというので、家内に頼まれて、包丁で白菜1個分を小さく切りました。固い茎の部分も細く小さく縦型に切りました。白菜漬けの完成は10日を要するらしい。
6
お爺さんも役に立つことがあるんです、こうしてときたま。コーヒーを美味しく飲むために。
7
明日は何をしようかな? いや、毎日でなくていいんです。一週間に一度ほどでいいんです。7分の1の充足感にして薄めて味わえばいいんだから。
1
宇宙は語りたくて語りたくてたまらないでいる。本当のことを知らせたくて知らせたくてならないでいる。伝えたいことがたくさんたくさんある。
2
語るときにはしかし宇宙語を使われる。宇宙語だから、これがわれわれにはほとんど理解できない。
3
言葉を使わずにインスピレイションを使われることがある。宇宙意識がわたしたちの人間意識に波動を送信して来る。わたしたちの受信装置にそれが反映される。分かったときには飛び上がりたくなる。
4
体験という手段を執られることもある。わたしたちはさまざまに体験をする。そこから学び取るのである。そうかそういうことだったのか、と理解する。そして肯く。これで学習が進む。
5
宇宙は本当のことを語って聞かせて上げたいのである。わたしたちが間違った理解をしていれば、修正をしてあげたくなるのである。
6
双方ともこころだからである。活動しているからである。双方ともに助け合って進歩をしているからである。一方通行ではないのである。宇宙からわたしへの方向とわたしから宇宙へと言う方向の流れがあるのである。
7
ふふふ、今日はそんなことを考えた。もちろん推測推量に過ぎないのだけど。考えていると、近づけたような気持ちになれるのだ。
1
気温が零下に下がった。風の音がびゅうびゅう。唸っている。山々がうっすらだが雪化粧をしている。雪は止んでいるので、山々が見える。
2
宝蔵自ずから開けて受容如意ならん。
3
これが「普勧坐禅儀」の締め括りとなっている。
4
道元禅師の究極の悟りの表現だろうか。
5
おおらかだなあ。
6
わたしを豊かにしてくれるもの、リッチにしてくれるものがこの宇宙にはどれだけでもある。それを欲しいだけ受け取っていい。遠慮なく受け取っていい。
7
それを受け取ったわたしはどれだけでも豊かになっていい、いいことになっている、というのだ。
8
嬉しいなあ。嬉しいことが書いてあるなあ。
9
さあ、此処からはわたしの出番。わたしが豊かになっていけるかどうかだ。宇宙という宝蔵の、莫大な宝ものをどれだけ受け取っているかどうか、だ。
10
宇宙とわたしは相似形をしている。わたしをふくらませると宇宙になる。豊かな宇宙になる。宇宙を縮小するとわたしになる。豊かなわたしになる。
11
枯れたアスパラガスの茎と枝葉が地上に残っている。冷たい風がびゅんびゅん吹き付けている。アスパラガスが捻じ伏せられている。畑にそれが見える。少しだけ雪に埋まっている。
12
これも宇宙の宝蔵の宝である。宇宙を語っている。
1
宝蔵(ほうぞう)自(おの)ずから開けて受容(じゅよう)如意(にょい)ならん。
2
特上の禅語なのでもう一度繰り返して味わってみます。
3
この宇宙は宝の宇宙である。この世は宝が満ち満ちたところである。まず第一に、そういう受容・受け止めがある。
4
しかもどれだけでも引き出して使っていいことになっている。しかし、おおよその人は、そのことに気付かないでいる。だから、使用率が極めて低くなっている。
5
あるあるある、なのだけれども、それを、ないないない、にしてしまって、不平を述べている。
6
誰もがどれだけでもその宝物を受け取っていいのである。好きなだけ、どれだけでも無制限に使っていいのである。それが「如意」だ。
7
ではその宝蔵にしまってある宝とは何か。それが問題となる。宇宙自体が宝蔵である。地球が宝蔵である。この世こそが宝蔵である。そんなふうに見えるかどうか。まずはここで足止めを喰らってしまいそうだ。
8
宝蔵を開けるのは誰か。此処では「自ずから」となっている。もう開いている、としてある。後はそれを宝物とするかどうか、宝に見えるかどうか、だ。宝に見えていなければ、泥棒もこれを欲しがらないであろう。
9
宝蔵自ずから開いて、受容如意ならん。好きなだけどうぞ。遠慮は無用というのである。泥棒しなくとも、与えられる。しかし、要は、それを欲しがるかどうかだ。宝物に見えているかどうか、それが関門になっている。
10
仏道を歩む者にはこの目が開かれて来る。如意、欲しいだけどうぞ、なのだが、もう充満していて、欲しがらないで済むかもしれない。
11
仏道を歩む者には宝蔵が見えて来る。宝蔵の宝が見えて来る。仏陀が見えて来る。仏道が見えて来る。ダンマが見えて来る。涅槃が見えて来る。安心が見えて来る。
12
万物を生かしている宇宙のあたたかいハートが見えて来るのかもしれない。