八丈島といっても、羽田空港から飛行機でわずか45分、人口も1万人近く。
東京から比較的に行き易く、私の求めていた「秘境の旅」とはいえず。
八丈島で秘境の旅をしたければ、1969(昭和44)年に廃村になった八丈小島しかない。
観光案内所で八丈小島に行ける方法を尋ねてみた。
「八重根漁港の漁師さんに頼めば漁船で連れてくれる」とのこと。
八重根漁港は青ヶ島行きの還住丸が発着している港だというのに、船の姿が見えない。
今日も青ヶ島行きは欠航だと今朝のお知らせに出ていたので、どこかの港で停泊しているのだろうか。 楽しそうに雑談している漁師さんたち見っけ!
八丈島に来て小島によほど行きたがっているなんて、私達はマニアニックなヤツだと思われたに違いない。
「上陸しても、小学校跡以外は何もないんだよ。1時間くらいあれば十分。小学校に行く道以外は雑草の背丈が伸びていて、ダニを連れて帰るハメになるから、そこには行かないほうがいい。でもさ、今日みたいにウネリが高い日は船を出さないんだよ。朝6時に出発、料金は7,000円くらいかな」(NoriNoriさんの通訳) 漁師さんにもらった、獲れたての小魚。そのまま食べてと言われるまま食べてみた。
「うまいだろ。もっとたくさん食え」とコップに塩漬けの小魚。
甘いメロンも頂いたばかりなのに、甘いメロンに少ししょっぱい小魚。
その組み合わせはちょっと・・・・(笑)
次の日、海が凪いできたら、電話一本で連れてくれるとのこと。
★八丈小島豆知識★
ネットで詳しいサイトを見つけましたので、そちらをご覧ください。
・八丈小島
本木修次著「無人島が呼んでいる」 ニッポン秘島めぐり4 1999年刊
漆原智良著「ふるさとはヤギの島に 八丈小島へ帰りたい」(児童書)1998年刊の本にも書かれているが、当時の定期便は小さな漁船で月に4便しかない。
わずか4キロ離れていない本島ではわずか1時間で東京に行ける空港も備えているし、電気、水道などのインフラも整えているし、医者も駐在しているし、30世帯93人の島民たちは将来の生活に不安を感じ、1969(昭和44)年に全員離島。
東京都が小島を買い上げたので、管理はもちろん東京都。
小島は北部の「鳥打村」、南部の「宇津木村」があり、2つの小中学校があった。
鳥打小中学校のコンクリート壁に赤いペンキで惜別の詩が残されている。
「五十世に暮らしつづけた我が故郷よ
今日を限りの故郷よ
かい無き我は捨て去れど
次の世代に 咲かして花を・・・・・」(原文のまま)
書いた人は鳥打村長だった、鈴木文吉さん。
あれから40年近く経ってもまだその文字が残っているので、この目で確かめたがった。