御蔵島、友人の結婚お祝い・・・で北海道の話は後回しにしてしまいましたが、今日からぼちぼち書こうかなと思います。
家族で北海道に行ったのは8月下旬、今日は10月14日。
ちょうど、8月下旬に行ったときとほぼ同じ気候になってしまいました。
つまり、向こうは「早い秋」だったのですね。
旭川近郊の層雲峡も今が紅葉の見ごろだそうです。(紅葉情報はこちら)
関東だと今から1ヵ月後(11月中旬)が見ごろかな・・・。
稚内駅でレンタカーを借り、宗谷岬までほぼ1時間くらいのドライブ。
カーナビのルートでは、南稚内駅前を通るようにと指示があった。
「あれ!?最北端に行くのに南下するようなルートになっている?」とコンビニに停め、ルートを再度、確認。
カーナビは間違っていなかった。
稚内駅より北にあるものなので、カーナビが狂っているかと・・・。
国道40号線でいったん南下し、国道238号線に左折。
そのまままっすぐ進むと稚内空港を経て宗谷岬にたどり着く。
声問(こえとい)郵便局前通過。
声問は、今から20年前の平成元年に廃止された「天北(てんぽく)線」の駅名になっている。しかし、線路の跡がまったくわかりませんでした。
「天北」は旧国名の「天塩」と「北見」から1文字ずつ採られている。
宗谷本線の音威子府駅で分岐し、南稚内で再び交流する最北端の鉄道でした。
1987年4月1日、国鉄からJR北海道に継承され、わずか2年の短命。
声問郵便局で風景印押しても、あまりピンと来ないので、最北端の郵便局、「宗谷岬郵便局」までお預け。
やっとたどり着きました~!
北緯45度31分14秒の日本最北端!!
近くて遠い国境線はここだけではなく、韓国の38度線もある。
板門店(パンムンジョム)の停戦会談場に国境がマイクの線で引かれてあって、南側は韓国、北は北朝鮮。
韓国側からの観光ツアーで、停戦会談場の見学も可能だが、まず、韓国兵が北朝鮮側のゲストがいないのをサイレント(相手と交わすこともなく)確認。
数人の兵士が会談場の四方に配置、それからゲストたちの入場。
国境線をまたいで北朝鮮領に足を踏み入れることもできるが、あまりにも羽目を外すと北朝鮮に連れて行かれそうなので、ちょっと緊張してしまいました。
新炭里(しんたんり)駅から軍事境界線までわずかな距離だが、何重かのバリケードと兵士の監視で簡単に行くことはできない。
で、ここも同じです。わずか43キロ先にロシア。
稚内港からコルサコフ(日本の旧地名は「大泊」)行きのフェリーが出ていますが、片道だけで約3万円、パスポートのほかにビザも用意しなければならず、ハードルは高いのです。
今日は晴れていてもガスっていて、残念ながら島影は見えませんでした。
日本の歴史を見ると、戦前までは朝鮮半島、樺太、台湾を大日本帝國とし、わが国の領有にしていた。
(1947(昭和22)年5月3日に「日本国憲法」施行に伴い、天皇を崇拝する「大日本帝國」から「日本国」に改めた) 「最北端の地」より数メートル先にある海岸。
先端の石に立てば、本当の最北端になる。
真冬になると、サハリンまで氷海になり、陸続きかな・・・とふと思いましたが、最近の地球温暖化でそのような現象になるのは難しいかも。 宗谷岬の小高い丘、「宗谷丘陵展望台」からの眺め。
ここからだとサハリンが見えるかなと期待していましたが、今日はなかなか見えません・・・。
青い建物は最北端のお土産屋さん。
右側に目をやると、漁港。
あそこに行けば、「最北端の地」 よりも北になるのでは?と地図をよく確認すると、目の錯覚なのか数十メートル程度の南に位置していました。
ここに来たのは3回目。
最北端の観光に力を入れているらしく、新しい宿泊施設が次々と建っています。
稚内市内のホテルではなく、ここにすればよかったかも・・・。